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邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実3 [邪馬台国、卑弥呼を過去透視]





ヤマト部族 九州上陸

宮崎県高千穂峡
神々が高天原から降り立った場所とされている。高千穂峡一帯は、太古から続く神聖な場所だった。高千穂、天安河原、神々が集い会議を開いた場所である。

マクモニーグルの透視では、ここは平民の祭祀場である。古代、高千穂には祭祀を行うため、数多くの部族から人々が集まった。九州に上陸したヤマト部族は有明海側に拠点を築いていた。そして、ヤマト部族からも卑弥呼の祖母が祭祀を行うためにやってきたという。卑弥呼は代々続くシャーマンの家系に生まれたのだ。

この場所の祭祀場としての歴史は、2000年以上だろう。2000年だ。川に降りて行って体を清めたのだ。これは神聖なことだ。体を清めておく必要があった。「みそぎ」をする必要があった。


マクモニーグル、ヤマト部族の九州内での足取りを調査

ヤマト部族の最初の上陸地、熊本県にある塚原古墳群
ヤマト部族は熊本県に上陸したが、本格的拠点はつくらなかった。

四角い古墳が最初なのか?

そうだ。四角い古墳が最初だ。次が丸い古墳・・・最後がキーホール型の古墳。


ヤマト部族が本格的な拠点を築いていった場所。そこは長崎県、佐賀県、福岡県にまたがる有明海沿岸。そしてヤマト部族は、一時期吉野ケ里周辺を手中におさめ拠点を築いていた。マクモニーグルが調査にやってきた場所、佐賀県吉野ケ里遺跡を復元した公園である。当時の九州の表玄関は福岡県の博多湾だった。ヤマト部族は表玄関ではなく、裏の有明海側から着実に勢力を伸ばしていった。

マクモニーグルは吉野ケ里遺跡の柵と環濠の関係に疑念を抱き始めた。

韓国では考え方が違っている。ゲートを開けて敵を中に引き入れることがある。そして、敵を中に閉じ込めて逆に柵の外から攻撃をする。敵を自ら招き入れて外から取り囲んで攻撃するのだ。このような戦略もある。特に敵が多いときだ。だが、これは非常に危険な戦略だ。どうも納得がいかない。柵は環濠の内側にあったはずだ。柵の位置はわからない。穴があった場所に復元しているわけではない。環濠は出たとこそのままだ・・・。もし柵が内側にあれば、防御には最適だ。


柵は環濠の内側にあったのか?

内側だ。内側にあれば、環濠をわたり攻めてくる敵を矢で射ることができる。環濠に下りると水に足を取られる。登ってくることはできない。登ってくれば矢を射るまでだ。戻ろうとする敵も狙える。攻める側にとっては大変だ。


有明海周辺から拡大していったヤマト部族。やがてその勢力は博多湾にも及んでいった。さらに北九州へと拡大していった。


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