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遥かなる島 名もなき魂の涙 第7部 王道楽土に消ゆ [歴史、社会学]

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ソ連軍参謀総長アントノフ上級大将
「8月14日(日本時間8月15日)に日本の天皇によってなされた日本の降伏についての通知は、一般的な宣言にすぎない。戦闘行為の停止命令はまだ出されておらず、日本軍は従来通り抵抗を続けている。日本の天皇が日本軍に戦闘行為の停止と武器の放棄を命じ、この命令が実際に遂行された時にはじめて降伏とみなすことができる。上記の理由で、極東のソ連軍部隊は日本に対する攻撃作戦を続行する。」


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「虎頭陣地の玉砕」

1945年8月9日 満州東部、ソ連国境付近 虎頭要塞

ソ連軍20,000人
猛虎山一帯の日本軍地下陣地に侵攻。


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日本軍守備隊
5つほどの陣地内にこもり、頑強に抵抗、激戦を開始。
40cm榴弾砲でウスリー川に架かるソ連領のイマン鉄橋を破壊。
500人ほどの民間人も要塞陣地に避難。

しかし10倍以上の数のソ連軍に押され、堅固な陣地の防御は次第に破られていく。



1945年8月17日 猛虎山陣地

白旗を持った民間人5人ほどが、大木正砲兵隊長に面会。
所持していたソ連軍の降伏勧告文書を見せる。

ソ連軍降伏勧告文書
(日本は8月15日全面的に無条件降伏した。貴軍も全員武装を解いて、ソ連軍に降伏せよ。)


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大木正砲兵隊長
「日本軍はこの地を死守せよとの命令を受けている。我々はこの地を死守し、大日本帝国悠久三千年の大義につくのだ。」
ソ連軍の降伏勧告の書類に赤線で大きくバツ印を書く。


民間人
「よくわかりました。」

このとき、民間人の一人が外へ走り出そうと不審な動きを見せる。


大木砲兵隊長
「待て!! 東方へ向かって座れ!」
走り出そうとした男を軍刀で殺害



1945年8月19日 猛虎山陣地

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陣地のある山頂に到達したソ連軍、地下陣地の換気口にガス弾、爆薬を投入


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陣地内の民間人、充満するガスに逃れようと避難口に殺到、将棋倒しとなり、ほとんどが窒息死


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(※8月26日、日本軍兵士の僅かに残った生き残りは虎頭要塞を放棄、脱出。個人単独が死線をさまよう決死の逃避行を行い、12日間に及ぶ激戦で1,800人のうち生存者は50人でした。)




1945年8月10日 満州国首都 新京

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関東軍上層部、満州鉄道を使用して南部へ撤退開始。


新京 満州鉄道本社

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山崎元幹 満州鉄道総裁
「居留民の避難輸送はどうするのだ? 公式の指示があるまでは家族を動かすな!「自分の自由になる列車をいち早く動かした」と言われるほど不名誉なことはない。あんたらは自分の家族だけがかわいいのか?」


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秦彦三郎 日本関東軍参謀長
「大本営は「関東軍の任務を、満州防衛から、朝鮮防衛に切りかえる。帝国全体の戦況から考えて、朝鮮が最後の一線として絶対に防衛しなければならない。」という。つまり満州全土を放棄してもいいという考えだ。我々が承服できると思うか。通化へ移るのはそのためだ。」



「葛根廟惨劇と敵討ち」

1945年8月14日 満州国興安総省 葛根廟

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興安市東部住民、非武装の女性、小学生の子供を主体とした1,000人以上の日本人避難民
ソ連軍T-34戦車14両、トラック20台に搭乗した歩兵部隊と遭遇。

日本人避難民
「敵襲だ!」
「戦車がやって来たぞ!」

浅野良三 興安総省参事官
ソ連軍を確認し、白旗を掲げるが射殺

民間人の一部男性が僅かな小銃で応戦。ほとんど抵抗にならない。


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ソ連軍のT-34戦車が民間人に対して機銃掃射、轢き殺し始める
丘に引き返し、何度も避難民めがけて突入しながら攻撃を繰り返す
キャタピラに巻き込まれ、バラバラになった避難民の遺体が宙に舞う


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トラックから降りたソ連兵が生存者を次々と射殺、または銃剣で刺殺

(※同様の事件は満州域内のいたるところで発生しました。)



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大虎山分屯隊(日本関東軍)偵察機
二宮准尉、葛根廟の惨劇を上空から目撃。

二宮清准尉
(ウサギのように逃げ回る邦人を、露助が機関銃で撃ち殺し、戦車で轢き殺している!



大虎山飛行場付近 小料理屋伊予屋

偵察した葛根廟での惨劇をメンバーに説明する二宮清准尉。


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第五練習飛行隊メンバー
「司令部はソ連軍に降伏しろと言っているが、戦わずにおめおめと降伏なんぞできるか。俺たちは露助と戦うぞ! 必ず露助の戦車を叩き潰す!


第五練習飛行隊のうち11名の搭乗員がソ連軍戦車に対して特攻を決意
自分たちの特攻隊を神州不滅特別攻撃隊と名づける。

(空からソ連軍の戦車部隊を攻撃するための爆弾がない。唯一の戦法は、空からソ連軍の戦車に体当たり突撃するしかない。爆弾を搭載しない飛行機で体当たりしても、もちろんたいした損害は与えられないが、彼らに相当な心理的ダメージを与えることはできるはずだ。ソ連軍の進撃を遅らせれば、日本人居留民が、たとえひとりでも余計に帰還できる時間を稼げるに違いない。)




1945年8月19日 大虎山飛行場

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97式練習戦闘機11機の特攻機が1機ずつ飛行場を離陸。


今田達夫少尉
(戦闘の機会得られず、戦わなかった空の勇士11名。生きて捕虜の汚辱を受けるのは我慢できない。ここに神州不滅特別飛行攻撃隊を編成して、昭和維新のさきがけとなる。)


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谷藤徹夫少尉
(国が負けたら何も残らない。生きる甲斐のない人生なら、死んで国を守る鬼となろう。)

出撃直前、夫の飛行機に駆け寄り、そのまま後部座席に乗り込む谷藤夫人



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(※この特攻攻撃の成否、残り9機の最期については誰にもわかりません。)




「関東軍崩壊」

1945年8月22日 満州ハルビン市

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戦車40台の上に分乗するソ連兵、ハルビン市内に侵入。
関東軍はすぐに武装解除、警官も消失。
レーニンやスターリンの肖像、ソ連国旗を掲げて歓迎する満州人。

ソ連兵「Японский, водка, водка.」(日本人、酒だ、酒。)
指で喉を叩くソ連兵。

日本人少年「Офицер, пожалуйста.」(将校さん、どうぞ。)
ソ連兵「Окей, xорошо.」(おお、いいね。)





「民間人の盾となる日本軍」

1945年8月15日 中国河北張家口 日本駐蒙軍司令部

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根本博中将
「関東軍がたったの二、三日の戦闘でいきなりハルピン-大連の線まで吹き飛ばされるのか…。」

もはや関東軍の立ち直りは不可能だろう。満州・朝鮮を失った日本は自滅するしかない。しかし、民間日本人と部下の命だけはソ連軍から守り抜かなければならない。駐蒙軍の司令官として、命に代えても絶対に果たさなければならない私の使命だ。)



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1945年8月17日 張家口南東部

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日本へと引き揚げる民間人の乗車する列車に、線路沿いの道を日本駐蒙軍のトラックが並走。

「元気で帰れよ!」
「気を付けて行けよ!」

列車へと、金平糖入りの乾パンの袋を投げ入れる日本軍兵士達。
やがて、トラック荷台上から手を振りながら遠ざかって行く。

列車がリンゴ畑を通過するときには、警備の日本兵士が駆け寄り、リンゴを列車へと投げ入れた。

万里の長城に沿って走る列車。
万里の長城の要所を警備中の日本兵に向かって、手を振る民間人たち。

日本人女性の一人
(兵隊さん達、無事に日本に帰って…。)



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ソ連軍航空機から日本駐蒙軍がいる張家口と丸一陣地にビラが撒かれる。


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ヴァシレフスキーソ連軍元帥
「日本はすでに無条件降伏している。関東軍もまた日本天皇の命令に服従して降伏した。だが張家口方面の日本軍指揮官だけが天皇の命令に服従せず、戦闘を続けているのは不可解だ。直ちに降伏せよ。降伏しないならば、指揮官は戦争犯罪人として死刑にする。




1945年8月17日 満州ハルビン市 ソ連領事館

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秦彦三郎 日本関東軍参謀長
「貴国と停戦交渉を行いたい。もし19日までに停戦交渉が成立しなければ、玉砕覚悟で抵抗するつもりだ。これは内密な話だが、もし停戦が成立すれば、朝鮮半島をアメリカ軍ではなくソ連軍に引き渡したい。」

ソ連総領事
「関東軍との休戦協定が成立し、日本軍が武装解除するまでは如何なる交渉も応じない。」




張家口 日本駐蒙軍司令部

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日本軍幹部たちによる会議。
「これまでの方針通り、ソ連軍への武装解除は拒否すべきだ。」
「しかし援軍が来る見込みはない。これ以上の戦闘は犠牲者を増やすのみならず、指揮官の身に及ぶ。ソ連軍の武装解除を受け入れても仕方がない。」


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根本博中将
「諸君、私を戦犯にしようなどと言うことは、子供の言葉遊びのようなものだ。ソ連は私を戦犯にするとのことだが、私が戦死したらどうだ。もはや戦犯にしようとしても不可能ではないか。もし諸君の中にこれ以上の戦闘をためらうものがあれば、私自身が丸一陣地に行ってソ連軍の軍使を追い返そう。もしそれが不可能なら私が戦車に体当たりして死ぬだけのことだ。私は今から丸一陣地に行く。」



1945年8月20日
支那派遣軍総司令部(南京)→駐蒙軍司令部 電報

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岡村寧次大将
「駐蒙軍の苦境は察するに余りある。しかし、速やかに日本軍より戦闘を停止し、停戦交渉、武器引き渡しなどを実施するように厳命する。」


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根本博中将
「今、張家口には2万人ほどの日本人がいます。ソ連軍は重慶軍(蒋介石中国国民党軍)に先立って、張家口に集結し、相当な恐怖政策を実施しようとしています。日本人の生命財産を保護するべきだが、もしソ連軍に引き渡せば、それらを守ることができなくなる。時間を稼ぎ、女性や子供、老人を後方の安全な場所へ援護しながら引き揚げさせるべきです。ソ連軍の侵攻は阻止する決意であるが、もしその決心が国家の大方針に反するならば、直ちに私を免職してほしい。至急のご指示を待ちます。」




丸一陣地 対戦車壕付近

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ソ連軍将校数名が白旗を掲げ、陣地の対戦車壕付近まで接近。



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辻田新太郎参謀
(大日本帝国は無条件降伏したが、我々は丸一陣地に立てこもっている限り、むざむざ撃破されはしない。あくまで堂々と交渉しよう。)


ドロジンスキー ソ連軍第27自動車化狙撃連隊長
「即時武装解除せよ!!」

辻田参謀
「武装解除とは思いもよらない。自分は停戦の交渉に来ただけだ。張家口の民間日本人が引き上げが終わるまで2日間待ってくれ。我々は最初から抵抗するつもりはない。現に我々は…。」

ドロジンスキー連隊長
「日本は既に降伏したではないか!お前たちは天皇の命令に従わないのか?既に満州ではチチハル、牡丹江、奉天、四平街、どこでも日本軍は降伏しているぞ。今時抵抗しているのはお前たちだけだ。」

辻田参謀
「国家としては無条件降伏でも、前線の兵士の立場はまた別だ。我々は民間人が撤退するまで貴軍を張家口に入れないという任務を命じられている。2日間だけ攻撃を猶予してほしい。」

ドロジンスキー連隊長
「武装解除は今から15分以内だ。従わなければ即時攻撃を再開する!」

辻田参謀
「即時武装解除といっても正面の広い陣地に命令をもれなく伝えるには、相当の時間がかかる。15分なんてとんでもない。それに私にはそんな権限がない。上司に伺ってから、貴意に沿うように取り計らわせてくれないか。」

ドロジンスキー連隊長
「それはダメだ。お前の独断でやれ。さらに張家口には17時半、宣化には明日の正午、守備隊には外へ出て降伏するように伝えよ。」

辻田参謀
「いいえ。張家口へは傅作義や、閻錫山の国民党政府軍が入場してくるはずだからソ連軍のほうで彼らと交渉した上のことにしてくれ。我々はいずれにしても、内蒙古からは撤退するのだから、そちらで話し合いをつければ、誰にでも(丸一陣地、張家口を)明け渡すつもりだ。」

ドロジンスキー連隊長
「今が13時25分だ。あと2時間待ってやろう。その間に返答せよ。」

辻田参謀
「わかった。」



丸一陣地内
辻田参謀
「敵の考えはわかっている。即時、武装解除だ。何度行っても同じ事だ。もういい加減戦わせてくれ。でなければ貴様が出てこい。」

田村参謀
「いやいや、まだまだできる限り何度も行って、交渉でねばってくれ。俺が行くのは簡単だが、行けば事が面倒になるだけだ。」



丸一陣地 対戦車壕付近
辻田参謀
「2日間だけ、8月22日の午前10時まで待ってくれ。そうすれば貴官の言う通り武装解除を受け…。」

ドロジンスキー連隊長
「もう時間がないから帰れ!」

辻田参謀
「これほど頼んでも聞く耳持たないなら仕方がない。この上は潔く一戦を交えるだけだ。」


(※その後、20倍もの数のソ連軍相手に激しい白兵戦を含む死闘が繰り広げられ、両軍とも多くの死傷者を出しましたが、日本軍は8月22日まで陣地を死守。全ての民間人の引揚げが終わった後もソ連軍を陣地に寄せ付けず、濃霧の中、陣地からの撤退に成功しました。)




1945年12月17日 北京 紫禁城執務室

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蒋介石 中国国民党主席、北支那方面軍司令官の根本博中将と会談。
入室した根本中将の手を取って、椅子に座らせる蒋介石。


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蒋介石
「今でも私は東アジアの平和は日本と手を握っていく以外にはないと思うんだよ。今まで日本は少々、思い上がっていたのではないだろうか。しかし今後は私たちと日本は対等に手を組めるだろう。あなたは至急、帰国して日本再建のために努力してほしいのです。」


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根本博
「ありがとうございます。しかし閣下。私は35万の兵士を残して先に帰国することはできません。北支那方面軍の司令官として責任を問われなければなりません。」


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蒋介石
「戦争犯罪人の処罰は連合国の申し合わせだから仕方がない。しかし、いたずらに多数の戦犯を摘発し、日本の恨みを買いたくない。戦争である以上、罪は双方が犯している。だが連合国からの強い要請があるので、戦争以外のことで最も悪質なことをやった者だけに絞って、戦犯として処理したい。中国側の責任者についても、その点、十分な注意を与えてるつもりだが、もし日本側に不満があれば、遠慮なく申し出てください。」


根本博
「東アジアの平和のため、そして閣下のために、私でお役に立つことがあればいつでも馳せ参じます。」






(※その後、根本博中将には日本国内でも台湾国内でもほとんど知られていない、上の動画のような知られざるエピソードがあります。蒋介石については「台湾とアジアの守り神 再興の夢 前編」で紹介したような一面もあり、賛否両論ありますが、中国大陸からの日本人引揚げに協力してくれたのも事実です。)




「ソ連軍兵士と性暴力の惨劇」

1945年8月25日 満洲吉林省敦化
日満パルプ製造(王子製紙子会社)敦化工場

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工場を占領したソ連軍
日本人男性を飛行場わきの湿地帯に全員連行。


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社宅に社員や社員家族の女性と子供約170人ほどを監禁


1945年8月26日夜明け

酒に酔い、マンドリン銃を空に乱射しながら、監禁部屋へと乱入するソ連兵。
女性たちの顎をつかみ顔を確認しながら、気に入った日本人女性たちを 連れて行こうとする

女性の一人
「やめてください!なんでもさしあげますから、それだけは後生ですからやめてください!!」
「助けて!!助けて下さい!!」

金指輪をさし出し、手を合わせて懇願する女性。
指輪はとりあげられ、引きずられていく

別の女性
「悪魔!おまえたちは悪魔だ!」

ソ連兵士の日本人女性への暴行は2日間に及び、交代で泣き叫ぶ女性たちを引きずっていく


ある女性
「殺して!!殺してください!!」

カミソリで動脈を切断
ソ連兵士の顔に血しぶきが飛ぶ。
思いもかけない女性の抵抗に慌てて逃げていくソ連兵士。


外部に隔離されていた男性社員、社宅の異変を知って塀の中に侵入するもソ連兵の警戒が厳しく近づくことができない。



夜明け頃、監禁されている座敷室内で女性約30名が服毒自殺
ソ連軍女性兵士が発見。


ソ連軍将校
責任を問われることを恐れ、これ以降の暴行を禁止。




1945年8月20日 満州国首都新京

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12歳から20歳くらいの日本人女性が、10名程タンカに乗せられて運ばれる。
全員が裸、大腿部は血まみれ、股間は紫に腫れ上がって、その原形がない
顔をゆがめつつ声を出している。

次の女性はモンペだけをはぎとられて、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた
次の少女は乳房を切られて、片目を開けたままであった。


医師「10名に2~3名は舌を噛んで死んでいるんです。」


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若槻泰雄
(病院の玄関で大声で騒ぐ声に驚いた。ああ女とはこんな姿でいじめられるのか…道徳も教養も平和の中にのみあるのであって、ひとつ歯車が狂ってしまったら、そんなものは何の役にもたたない…。)




「王道楽土で待つ従軍看護婦」

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1946年3月 新京市長春第八病院

ソ連軍占領下の新京市の病院にソ連軍より、以下の命令書が届く。

(ソ連陸軍病院第二赤軍救護所へ看護婦の応援を要請。
期間 一か月
月給300円)


看護婦3名を選抜して送り出す、長春第八病院の堀喜身子婦長。


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堀婦長「決して無理はしないように。」

大島花江看護婦
「心配はいりません。敗戦国であろうと、世界の赤十字を背負う看護婦として、堂々と働いてきます!」



1946年4月

一か月の期限で送り出したものの、一か月の期限を過ぎても一向に連絡もなく、戻らない。
そんな中、さらに再派遣の要請が2回あり、そのたびに3名ずつ看護婦を送り出す。



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堀婦長
命令に背けば、医師や看護婦だけでなく、患者たちまで全員が殺されてしまう危険がある。病院としては、命令に背くことはできない。でも4度目の命令がきたら、こんどこそ絶対に拒否してやろう。)



1946年6月19日夜 新京市長春第八病院

夜、何者かが病院のドアをたたく。


音に気付いて玄関の戸を開ける宿直の堀婦長。
(こんな時間に何事だろう…。)


「婦長…。」
全身血まみれ、意識朦朧で髪を振り乱しドアの前で倒れこむ、大島花枝看護婦。


堀婦長「花江さん、大島さん! 目を開けて!」



大島看護婦
「婦長…。私たちはソ連軍の病院に看護婦として頼まれて行った筈なのに、あちらでは看護婦の仕事をさせられているのではありません。行ったその日から、ソ連軍将校の慰みものにされてしまいました
半日たらずで私たちは半狂乱になってしまいました。
約束が違う!と泣いても叫んでも、ぶっても蹴っても、野獣のような相手に通じません。
泣き疲れて寝入り、新しい相手にまた犯されて暴れ、その繰り返しが来る日も来る日も続いたのです。
食事をした覚えもなく何日目だったか、空腹に目を覚まし、枕元に置かれていたパンにかじりつき、そこではじめて事の重大さに気が付き、それからひとりで泣きました。
涙があとからあとから続き、自分の犯された体を見ては、また悔しくて泣きました。
たったひとりの部屋で、母の名を呼び、助けを求めて叫び続けました。

やがておぼろげながら、一緒に来た二人も同じようにされていることもわかりました。
ほとんど毎晩のように三人か四人の赤毛の大男にもてあそばれながら、身の不運に泣きました。
逃げようとは何度も思い、しかもその都度手ひどい仕打ちにあい、どうにもならないことがわかりました。

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記憶が次第に薄れ、時の経過も定かではなくなった頃、赤毛の鬼たちの言動で、第八病院の看護婦の同僚たちが次々と送られてきていることを知って、無性に腹が立ち、同時に我にかえりました。

これは大変なことになる。
なんとかしなければ、みんなが赤鬼の生贄になる。そんなことを許してはならない。
そうだ、たとえ殺されても、絶対に逃げ帰って婦長さんにひとこと知らせてあげなければ・・・

私は、二重三重の歩哨の目を逃れ、鉄条網の鉄の針で服が破れ、肉が引き裂かれる痛みを感じながら、下を潜り抜けて逃げました。後ろでソ連兵の叫び声と銃の音を聞きながら、無我夢中で逃げてきました
婦長さん。もう、ひとを送ってはなりません。お願いします…。」


そこまで話してから、息をひきとる大島花江看護婦。


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1946年6月21日朝 新京市長春第八病院

張宇孝人事課長
「もう9時を過ぎているのに一人も出勤して来ない。患者がもうあんなに来ているのにどうするつもりだ。」

堀婦長「変ですね~。」


このとき嫌な予感に襲われ、看護婦達の宿所の部屋へと急ぎ走る堀婦長。
線香が漂う部屋の中、既に服毒自殺した22名の看護婦を発見。






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22名の私たちが、自分の手で生命を断ちますこと、軍医部長はじめ婦長にもさぞかしご迷惑のことと、深くお詫びを申し上げます。
私たちは、敗れたとはいえ、かつての敵国人に犯されるよりは死を選びます。
たとえ生命はなくなりましても、私どもの魂は永久に満州の地に止まり、日本が再びこの地に帰ってくる時、ご案内をいたします。
その意味からも、私どものなきがらは土葬にして、この満州の土にしてください。








1946年6月22日

通訳を連れたソ連軍の二人の将校と二人の医師がやってきて、現場検証。

逮捕される覚悟で、国際的にも認められている赤十字の看護婦に行った非人道的行為を非難し、泣きながら事のてんまつを訴える堀婦長。


ソ連軍将校
「…。」



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ソ連軍将校
「ソ連の命令として伝えられることで納得のいかないことがあれば、24時間以内にGPU(ソ連秘密警察)に必ず問い合わせること。日本の女性とソ連兵が、ジープあるいはその他の車に同乗してはならない。」




1946年8月3日 新京市ミナカイデパート跡地下ダンスホール

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「ソ連陸軍病院第二救護所に送られた看護婦8名が長春市内ミナカイデパート跡の地下のダンスホールでダンサーをしている」
という情報を得た堀婦長、8名の看護婦と再会。


看護婦たち
「ふ、婦長…。」
「婦長さん!!」

堀婦長
「みんな…。大島さんがね…。」

看護婦の一人
「知っています。同僚たち22名が集団自決したことも聞いています。」

堀婦長
「だったらこんなところにいないで、早く帰ってきなさい。」

看護婦たち
「…。」

堀婦長
「あなた達の気持ちは、痛いほどわかる。だけど帰ってきてくれなかったら、救いようがないじゃない。」

堀婦長の言葉にうつむいて黙る8名の看護婦たち。


堀婦長
「どうして黙っているの?どうして返事をしないの?あなた達は、そういうことが好きでやっているのね。」

看護婦の一人
「婦長さんがそれほどにまで私たちのことを考えて下さるなら、お話します。私たちはソ連軍の病院に行ったその日から、毎晩7、8人のソ連の将校に犯されたのです。そして気づいてみたら、梅毒にかかっていたのです。私も看護婦です。今では大分悪化していることがわかります。こうなっては自分の体は屍に等しいのです。どうしてこの体で日本に帰れましょうか。仮に今後どのような幸運に恵まれて日本に帰れる日が来たとしても、こんな体では日本の土は踏めません。この性病がどんなに恐ろしいものか十二分に知っています。暴行の結果うつされた、この性病を私はソ連軍の一人でも多くうつしてやるつもりです。今はもう、歩くのにも痛みを感じるようになりました。それでも頑張って一人でも多くのお客をとることにしています。これが敗戦国のせめてもの復讐です。」

堀婦長
「…。」


その日の夜

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ひっそりと静まり返って誰もいなくなった薬剤室に入り、無断で梅毒の治療薬を持ち出す堀婦長。




数日後 新京市ミナカイデパート跡地下ダンスホール

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堀婦長
「みんな!今日はお薬を持ってきてあげたよ。みんなの分、たくさん持ってきたから。復讐する気持ちはわかるけれど、それでは際限がないじゃない。それよりも、この薬で、一日も早く体を治してちょうだい。そしてね。気持ちを立て直して、生きることを目標に努力しようよ!」



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看護婦の一人
「婦長さんのお心はありがたいと思います。だけどそんな貴重なものは私たちには使えません。私たちのことはもういいんです。本当に。もういいんです…。」


堀婦長
「そんなことを言ってはダメ!お願いだからあきらめないで。お薬、ここに置いていくから。それじゃ、帰るね…。」

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看護婦の一人
「婦長さん。そんなに私たちの気持ちがわからないなら、わかるようにしてあげます。」
スカートをたくしあげ、典型的な梅毒の末期症状を呈す股間を見せる。


堀婦長
「この程度なら時間はかかるけど、必ず治ります。根気よ!薬は十分あるのだから、あなた達も絶対に良くなるんだという強い気持ちで治療するの。治らない、治りっこないなんて、勝手な思い込みはやめなさい。もう商売なんかしてはダメ。良くなるのよ。毎日お互いに声をかけあって、手抜きをしないで治療するの。一緒に日本に帰ろうね。」

これ以降、薬を少しずつ確保し、貯めた薬が一定量になるたびに彼女たちのもとに通う堀婦長。




1948年9月 新京市ミナカイデパート跡地下ダンスホール


堀婦長
「長春(新京)にいる在留邦人に、帰国命令が出たよ! みんな日本に帰れるよ。午後7時に南新京駅に集まるように。きっと来てくれるよね?」

看護婦の一人
「婦長さん、ありがとうございます。7時までには準備して必ず参ります。」

堀婦長
「必ずね! 準備をして必ず来てよ。」



その日の夕方 南新京駅

三人の看護婦
「婦長さ~ん!!」


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堀婦長
「こっちよ~、早く~!あとの三人は?」

三人を貨車に引っ張り上げる堀婦長。

細井看護婦
「大丈夫です。あとから来ます。それより、これ。食糧の足しにしてください。」

堀婦長
「ええっ!こんなにたくさん?!こんなことしたらあなた達が困るじゃないの?」


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細井看護婦
「いいんですよ、婦長さん。私たちの分は、あとからくる娘たちが持ってきます。だからこれ、みなさんで。それからこれ、ほんの少しですけれど。何かに使ってください。」

堀婦長
「何なの?」

細井看護婦
「アハハ、あとでですよ~。じゃあ、わたしたち、澤本さんたちを探してきますね。」
貨車を降りる三人。

堀婦長
「わかった。でも、もうあまり時間がないと思うから早くしてね。」

「はい!」






突然響く2発の銃声。




「婦長さぁん!! さようならぁ!!」




少し遅れて3発目の銃声。



列車への乗車を待っている日本人
「おい!自殺だ!
「若い女3人みたいだ!貨車の下の方だ!」



堀婦長「うわぁー!!」

号泣し、貨車を飛び降り、横たわる彼女たちのところへ走り寄って、線路上に座り込む堀婦長。
細井看護婦の右手にはピストルが握られていた。






堀婦長
「わかる。わかるよう…。
あなたたち、こうするしかなかったのね。

ごめんね。ごめんね。ごめんね。

はやく気が付いてあげれなくて。
もう、なにもかも忘れて楽になってね。
今度生まれてくる時には絶対に
もっと強い運を持って生まれてね…。」








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今回は、ソ連軍の満州侵攻とそれに対抗する日本軍、満州に居留していた民間人に関わるエピソードを中心に取り上げてみました。本当は、731部隊や日本海軍が極秘に進めていた原爆開発計画における未完成原爆の爆発実験のエピソードについても取り上げてみたかったのですが、テーマの都合上やむなく割愛しました。

また、この時期の満州の様子を記したものは断片的な内容がほとんどで、混乱した状況で意外と当時の状況を詳しく伝える資料が少なく、編集に予想以上に時間がかかりました。

ただ今回の記事を作るにあたって特に大多数の人が知らない、おそらく今後も広く知られることがないだろう、日本が連合国に無条件降伏した後も民間人を守るために、国家の方針に背いてまで、命を顧みず戦った日本軍兵士たちがかつて存在した事、絶望と無念の中、日本への望郷を抱きながら苦しみ、亡くなられた多くの日本人女性がいた事、そのことを強調したかったので、それができたことはよかったと思います。

今まで長期にわたってお送りしてきた「名もなき魂の涙」シリーズですが、ようやく「本題」に取り組み始めることができました。悲しみはまだ続きます。





遥かなる島 名もなき魂の涙 第一部 日露戦争
遥かなる島 名もなき魂の涙 第2部 ソビエトスターリンの野望
遥かなる島 名もなき魂の涙 第3部 バルバロッサ作戦と大祖国戦争
遥かなる島 名もなき魂の涙 第4部 ドイツ第三帝国の落日
遥かなる島 名もなき魂の涙 第5部 戦争逆転の切り札
遥かなる島 名もなき魂の涙 第6部 戦勝権益争奪競争




満州と岸信介 巨魁を生んだ幻の帝国
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くーちゃんとは…管理人が2001年頃にこのイラストを作成された宇佐美月子さんの特別なお計らいで 当時著作権が移っていたASCIIの編集部にHPなどへの使用を許可していただいたものです。




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おいでやす堂の番ネコのくーだにゃ。ここの管理人はねえ、マニアックな情報が大好きなんだよねえ。

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