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邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実2 [邪馬台国、卑弥呼を過去透視]




卑弥呼は南方渡来系だった。

見えたのは昔の船だったのか?

行ったり来たり、交流があったと思う。メッセージや人を運んでいた。


卑弥呼の生まれた部族の祖先は中国雲南省まで起源をたどれる。ベトナム、台湾、奄美大島を経由し、九州の地に船で上陸。マクモニーグルの透視を裏付けるように続々と見つかる南洋貝の腕輪の数々。邪馬台国の存在した弥生時代、南洋の貝は一大交易品だった。
卑弥呼の部族。透視された、その名前は「ヤマト」。ヤマト部族は南洋貿易で力を蓄えたのか?


マクモニーグルによる現地調査が始まった。ヤマト部族が本土上陸前に一時的に住んでいた場所。それは、奄美大島だった。マクモニーグルがピンポイントで透視した場所は笠利町の一角である。

マクモニーグルの案内でたどり着いた先は、秋葉神社裏の小高い丘だった。その丘には赤木名グスク跡と呼ばれる遺跡が存在した。この遺跡では、旧石器時代から続く遺物が発見されていたのだ。この丘はヤマト部族が祭祀を行なった場所だった。

南西諸島にはユタやノロなどのシャーマンが存在する。卑弥呼もシャーマンの血を引く家系に生まれたのだ。


鳥見山と同じだ。鳥見山と変わらない。何千年にもわたる祭祀が行われていたのだろう。膨大な年月だ・・・。来た瞬間にわかっていた。


ここが正しい場所なのか?卑弥呼の部族がかつて祭祀を行なっていたのだろうか?


そのとおりだ。祭祀を行なっていた。 重要な答えはいつも鳥の羽が教えてくれる。ほとんどいつものことだ。重要な答えは羽根から得られる。山に登る途中に鳥の羽を見つけ、聞いていたのでわかっていた。正しい場所だとわかっていた・・・。


邪馬台国の物語は奄美大島から始まった。ヤマト部族のシンボルは4枚花弁を持つ花である。やがて時代と共にシンボル化していった。


邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実1
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邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実10
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