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邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実10 [邪馬台国、卑弥呼を過去透視]




日本誕生
中国雲南省から奄美を経由して、日本にやってきたヤマト部族。奄美大島北部、笠利町に拠点を築いた。彼等は南洋貝の交易などを通じ、本土進出の機会を虎視眈々とうかがっていたのだ。
やがて九州に進出したヤマト部族。有明海周辺を拠点に、吉野ケ里、博多湾、山口へと拡大していった。そして、山口県長門で卑弥呼が産声をあげた。卑弥呼が生まれた頃、倭国は大乱の時代。出雲の大伯父は大乱を鎮めるため策に打って出た。偉大なシャーマンへと育った卑弥呼を諸国共通の王に推薦したのだ。卑弥呼は夏は奈良、冬は山口と二ヶ所の居城をかまえ連合国を統治した。
卑弥呼の擁立により倭国には平和が訪れた。卑弥呼の時代、米の生産は増え、交易が拡大し、倭国は大いに繁栄した。こうして日本の基礎が築かれた。


奈良平野について語る

ここは実質的な権力が誕生した場所だ。最初の王国につながる権力だ。ここから権力が始まった。部族が一緒になり、米がもたらされ、開墾が始まった。より大きな部族による協業だ。平和、交易、権力がもたらされ全てが組織化された。ここは巨大な米の産地だ。権力が拡大していった場所だ。


卑弥呼を透視しているとき、周りの人物も見えるのか?

そうだ。特に彼女にとって重要な人物ほど、クリアに素早く見えてくる。


祭祀などを行なっている様子も見えるのか?

そうだ。まず第一に彼女には子供がいなかったと思う。もし子供がいれば、すでに感じ取っていると思う。なぜなら彼女にとって最も重要な人物だからだ。彼女にとり、最も重要な近親者に間違いない。しかし、今のところ感知していない。だから、子供はいなかったと思う。女性にとって、二番目に重要な近親者は、大切な男性だろう。しかし、これもまた見えていない。彼女にとって大切な男性もいなかったと思う。彼女の人生は孤独だったのだろう。


日本の礎を築いた卑弥呼。しかし、その生涯は孤独だった。卑弥呼亡き後、再び戦乱の後、宗女 台与が王位につき、「夏の居城」に住んだ。しかし、台与の権威は名目だけ、連合は、すでに崩壊を始めていたという。隙を見計らうように、卑弥呼の宿敵、狗奴国(南九州、南四国を中心とする勢力)が邪馬台国連合内に進出を始めた。更に、同時期の九州では、新しい渡来系の一派が勢力を拡大し始めた。
大陸から騎馬遊牧民族の流れをくむ一派が長崎に上陸したのだ。この一派は戦闘兵器として使う術を心得ていた。こうした新勢力の拡大の下、やがて、新しい秩序が形作られていった。


邪馬台国連合は、日本最初の統一国家ヤマト王権へと変貌を遂げるのである。
こうして卑弥呼の出身部族「ヤマト」の名前は統一国家へと受け継がれていった。伝説となった卑弥呼は太陽の女神への信仰を生み出した。


邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実1
邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実2
邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実3
邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実4
邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実5
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邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実8、9
邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実10
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