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遥かなる島 名もなき魂の涙 第7部 王道楽土に消ゆ [歴史、社会学]

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ソ連軍参謀総長アントノフ上級大将
「8月14日(日本時間8月15日)に日本の天皇によってなされた日本の降伏についての通知は、一般的な宣言にすぎない。戦闘行為の停止命令はまだ出されておらず、日本軍は従来通り抵抗を続けている。日本の天皇が日本軍に戦闘行為の停止と武器の放棄を命じ、この命令が実際に遂行された時にはじめて降伏とみなすことができる。上記の理由で、極東のソ連軍部隊は日本に対する攻撃作戦を続行する。」


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「虎頭陣地の玉砕」

1945年8月9日 満州東部、ソ連国境付近 虎頭要塞

ソ連軍20,000人
猛虎山一帯の日本軍地下陣地に侵攻。


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日本軍守備隊
5つほどの陣地内にこもり、頑強に抵抗、激戦を開始。
40cm榴弾砲でウスリー川に架かるソ連領のイマン鉄橋を破壊。
500人ほどの民間人も要塞陣地に避難。

しかし10倍以上の数のソ連軍に押され、堅固な陣地の防御は次第に破られていく。



1945年8月17日 猛虎山陣地

白旗を持った民間人5人ほどが、大木正砲兵隊長に面会。
所持していたソ連軍の降伏勧告文書を見せる。

ソ連軍降伏勧告文書
(日本は8月15日全面的に無条件降伏した。貴軍も全員武装を解いて、ソ連軍に降伏せよ。)


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大木正砲兵隊長
「日本軍はこの地を死守せよとの命令を受けている。我々はこの地を死守し、大日本帝国悠久三千年の大義につくのだ。」
ソ連軍の降伏勧告の書類に赤線で大きくバツ印を書く。


民間人
「よくわかりました。」

このとき、民間人の一人が外へ走り出そうと不審な動きを見せる。


大木砲兵隊長
「待て!! 東方へ向かって座れ!」
走り出そうとした男を軍刀で殺害



1945年8月19日 猛虎山陣地

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陣地のある山頂に到達したソ連軍、地下陣地の換気口にガス弾、爆薬を投入


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陣地内の民間人、充満するガスに逃れようと避難口に殺到、将棋倒しとなり、ほとんどが窒息死


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(※8月26日、日本軍兵士の僅かに残った生き残りは虎頭要塞を放棄、脱出。個人単独が死線をさまよう決死の逃避行を行い、12日間に及ぶ激戦で1,800人のうち生存者は50人でした。)




1945年8月10日 満州国首都 新京

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関東軍上層部、満州鉄道を使用して南部へ撤退開始。


新京 満州鉄道本社

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山崎元幹 満州鉄道総裁
「居留民の避難輸送はどうするのだ? 公式の指示があるまでは家族を動かすな!「自分の自由になる列車をいち早く動かした」と言われるほど不名誉なことはない。あんたらは自分の家族だけがかわいいのか?」


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秦彦三郎 日本関東軍参謀長
「大本営は「関東軍の任務を、満州防衛から、朝鮮防衛に切りかえる。帝国全体の戦況から考えて、朝鮮が最後の一線として絶対に防衛しなければならない。」という。つまり満州全土を放棄してもいいという考えだ。我々が承服できると思うか。通化へ移るのはそのためだ。」



「葛根廟惨劇と敵討ち」

1945年8月14日 満州国興安総省 葛根廟

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興安市東部住民、非武装の女性、小学生の子供を主体とした1,000人以上の日本人避難民
ソ連軍T-34戦車14両、トラック20台に搭乗した歩兵部隊と遭遇。

日本人避難民
「敵襲だ!」
「戦車がやって来たぞ!」

浅野良三 興安総省参事官
ソ連軍を確認し、白旗を掲げるが射殺

民間人の一部男性が僅かな小銃で応戦。ほとんど抵抗にならない。


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ソ連軍のT-34戦車が民間人に対して機銃掃射、轢き殺し始める
丘に引き返し、何度も避難民めがけて突入しながら攻撃を繰り返す
キャタピラに巻き込まれ、バラバラになった避難民の遺体が宙に舞う


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トラックから降りたソ連兵が生存者を次々と射殺、または銃剣で刺殺

(※同様の事件は満州域内のいたるところで発生しました。)



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大虎山分屯隊(日本関東軍)偵察機
二宮准尉、葛根廟の惨劇を上空から目撃。

二宮清准尉
(ウサギのように逃げ回る邦人を、露助が機関銃で撃ち殺し、戦車で轢き殺している!



大虎山飛行場付近 小料理屋伊予屋

偵察した葛根廟での惨劇をメンバーに説明する二宮清准尉。


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第五練習飛行隊メンバー
「司令部はソ連軍に降伏しろと言っているが、戦わずにおめおめと降伏なんぞできるか。俺たちは露助と戦うぞ! 必ず露助の戦車を叩き潰す!


第五練習飛行隊のうち11名の搭乗員がソ連軍戦車に対して特攻を決意
自分たちの特攻隊を神州不滅特別攻撃隊と名づける。

(空からソ連軍の戦車部隊を攻撃するための爆弾がない。唯一の戦法は、空からソ連軍の戦車に体当たり突撃するしかない。爆弾を搭載しない飛行機で体当たりしても、もちろんたいした損害は与えられないが、彼らに相当な心理的ダメージを与えることはできるはずだ。ソ連軍の進撃を遅らせれば、日本人居留民が、たとえひとりでも余計に帰還できる時間を稼げるに違いない。)




1945年8月19日 大虎山飛行場

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97式練習戦闘機11機の特攻機が1機ずつ飛行場を離陸。


今田達夫少尉
(戦闘の機会得られず、戦わなかった空の勇士11名。生きて捕虜の汚辱を受けるのは我慢できない。ここに神州不滅特別飛行攻撃隊を編成して、昭和維新のさきがけとなる。)


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谷藤徹夫少尉
(国が負けたら何も残らない。生きる甲斐のない人生なら、死んで国を守る鬼となろう。)

出撃直前、夫の飛行機に駆け寄り、そのまま後部座席に乗り込む谷藤夫人



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(※この特攻攻撃の成否、残り9機の最期については誰にもわかりません。)




「関東軍崩壊」

1945年8月22日 満州ハルビン市

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戦車40台の上に分乗するソ連兵、ハルビン市内に侵入。
関東軍はすぐに武装解除、警官も消失。
レーニンやスターリンの肖像、ソ連国旗を掲げて歓迎する満州人。

ソ連兵「Японский, водка, водка.」(日本人、酒だ、酒。)
指で喉を叩くソ連兵。

日本人少年「Офицер, пожалуйста.」(将校さん、どうぞ。)
ソ連兵「Окей, xорошо.」(おお、いいね。)





「民間人の盾となる日本軍」

1945年8月15日 中国河北張家口 日本駐蒙軍司令部

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根本博中将
「関東軍がたったの二、三日の戦闘でいきなりハルピン-大連の線まで吹き飛ばされるのか…。」

もはや関東軍の立ち直りは不可能だろう。満州・朝鮮を失った日本は自滅するしかない。しかし、民間日本人と部下の命だけはソ連軍から守り抜かなければならない。駐蒙軍の司令官として、命に代えても絶対に果たさなければならない私の使命だ。)



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1945年8月17日 張家口南東部

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日本へと引き揚げる民間人の乗車する列車に、線路沿いの道を日本駐蒙軍のトラックが並走。

「元気で帰れよ!」
「気を付けて行けよ!」

列車へと、金平糖入りの乾パンの袋を投げ入れる日本軍兵士達。
やがて、トラック荷台上から手を振りながら遠ざかって行く。

列車がリンゴ畑を通過するときには、警備の日本兵士が駆け寄り、リンゴを列車へと投げ入れた。

万里の長城に沿って走る列車。
万里の長城の要所を警備中の日本兵に向かって、手を振る民間人たち。

日本人女性の一人
(兵隊さん達、無事に日本に帰って…。)



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ソ連軍航空機から日本駐蒙軍がいる張家口と丸一陣地にビラが撒かれる。


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ヴァシレフスキーソ連軍元帥
「日本はすでに無条件降伏している。関東軍もまた日本天皇の命令に服従して降伏した。だが張家口方面の日本軍指揮官だけが天皇の命令に服従せず、戦闘を続けているのは不可解だ。直ちに降伏せよ。降伏しないならば、指揮官は戦争犯罪人として死刑にする。




1945年8月17日 満州ハルビン市 ソ連領事館

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秦彦三郎 日本関東軍参謀長
「貴国と停戦交渉を行いたい。もし19日までに停戦交渉が成立しなければ、玉砕覚悟で抵抗するつもりだ。これは内密な話だが、もし停戦が成立すれば、朝鮮半島をアメリカ軍ではなくソ連軍に引き渡したい。」

ソ連総領事
「関東軍との休戦協定が成立し、日本軍が武装解除するまでは如何なる交渉も応じない。」




張家口 日本駐蒙軍司令部

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日本軍幹部たちによる会議。
「これまでの方針通り、ソ連軍への武装解除は拒否すべきだ。」
「しかし援軍が来る見込みはない。これ以上の戦闘は犠牲者を増やすのみならず、指揮官の身に及ぶ。ソ連軍の武装解除を受け入れても仕方がない。」


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根本博中将
「諸君、私を戦犯にしようなどと言うことは、子供の言葉遊びのようなものだ。ソ連は私を戦犯にするとのことだが、私が戦死したらどうだ。もはや戦犯にしようとしても不可能ではないか。もし諸君の中にこれ以上の戦闘をためらうものがあれば、私自身が丸一陣地に行ってソ連軍の軍使を追い返そう。もしそれが不可能なら私が戦車に体当たりして死ぬだけのことだ。私は今から丸一陣地に行く。」



1945年8月20日
支那派遣軍総司令部(南京)→駐蒙軍司令部 電報

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岡村寧次大将
「駐蒙軍の苦境は察するに余りある。しかし、速やかに日本軍より戦闘を停止し、停戦交渉、武器引き渡しなどを実施するように厳命する。」


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根本博中将
「今、張家口には2万人ほどの日本人がいます。ソ連軍は重慶軍(蒋介石中国国民党軍)に先立って、張家口に集結し、相当な恐怖政策を実施しようとしています。日本人の生命財産を保護するべきだが、もしソ連軍に引き渡せば、それらを守ることができなくなる。時間を稼ぎ、女性や子供、老人を後方の安全な場所へ援護しながら引き揚げさせるべきです。ソ連軍の侵攻は阻止する決意であるが、もしその決心が国家の大方針に反するならば、直ちに私を免職してほしい。至急のご指示を待ちます。」




丸一陣地 対戦車壕付近

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ソ連軍将校数名が白旗を掲げ、陣地の対戦車壕付近まで接近。



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辻田新太郎参謀
(大日本帝国は無条件降伏したが、我々は丸一陣地に立てこもっている限り、むざむざ撃破されはしない。あくまで堂々と交渉しよう。)


ドロジンスキー ソ連軍第27自動車化狙撃連隊長
「即時武装解除せよ!!」

辻田参謀
「武装解除とは思いもよらない。自分は停戦の交渉に来ただけだ。張家口の民間日本人が引き上げが終わるまで2日間待ってくれ。我々は最初から抵抗するつもりはない。現に我々は…。」

ドロジンスキー連隊長
「日本は既に降伏したではないか!お前たちは天皇の命令に従わないのか?既に満州ではチチハル、牡丹江、奉天、四平街、どこでも日本軍は降伏しているぞ。今時抵抗しているのはお前たちだけだ。」

辻田参謀
「国家としては無条件降伏でも、前線の兵士の立場はまた別だ。我々は民間人が撤退するまで貴軍を張家口に入れないという任務を命じられている。2日間だけ攻撃を猶予してほしい。」

ドロジンスキー連隊長
「武装解除は今から15分以内だ。従わなければ即時攻撃を再開する!」

辻田参謀
「即時武装解除といっても正面の広い陣地に命令をもれなく伝えるには、相当の時間がかかる。15分なんてとんでもない。それに私にはそんな権限がない。上司に伺ってから、貴意に沿うように取り計らわせてくれないか。」

ドロジンスキー連隊長
「それはダメだ。お前の独断でやれ。さらに張家口には17時半、宣化には明日の正午、守備隊には外へ出て降伏するように伝えよ。」

辻田参謀
「いいえ。張家口へは傅作義や、閻錫山の国民党政府軍が入場してくるはずだからソ連軍のほうで彼らと交渉した上のことにしてくれ。我々はいずれにしても、内蒙古からは撤退するのだから、そちらで話し合いをつければ、誰にでも(丸一陣地、張家口を)明け渡すつもりだ。」

ドロジンスキー連隊長
「今が13時25分だ。あと2時間待ってやろう。その間に返答せよ。」

辻田参謀
「わかった。」



丸一陣地内
辻田参謀
「敵の考えはわかっている。即時、武装解除だ。何度行っても同じ事だ。もういい加減戦わせてくれ。でなければ貴様が出てこい。」

田村参謀
「いやいや、まだまだできる限り何度も行って、交渉でねばってくれ。俺が行くのは簡単だが、行けば事が面倒になるだけだ。」



丸一陣地 対戦車壕付近
辻田参謀
「2日間だけ、8月22日の午前10時まで待ってくれ。そうすれば貴官の言う通り武装解除を受け…。」

ドロジンスキー連隊長
「もう時間がないから帰れ!」

辻田参謀
「これほど頼んでも聞く耳持たないなら仕方がない。この上は潔く一戦を交えるだけだ。」


(※その後、20倍もの数のソ連軍相手に激しい白兵戦を含む死闘が繰り広げられ、両軍とも多くの死傷者を出しましたが、日本軍は8月22日まで陣地を死守。全ての民間人の引揚げが終わった後もソ連軍を陣地に寄せ付けず、濃霧の中、陣地からの撤退に成功しました。)




1945年12月17日 北京 紫禁城執務室

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蒋介石 中国国民党主席、北支那方面軍司令官の根本博中将と会談。
入室した根本中将の手を取って、椅子に座らせる蒋介石。


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蒋介石
「今でも私は東アジアの平和は日本と手を握っていく以外にはないと思うんだよ。今まで日本は少々、思い上がっていたのではないだろうか。しかし今後は私たちと日本は対等に手を組めるだろう。あなたは至急、帰国して日本再建のために努力してほしいのです。」


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根本博
「ありがとうございます。しかし閣下。私は35万の兵士を残して先に帰国することはできません。北支那方面軍の司令官として責任を問われなければなりません。」


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蒋介石
「戦争犯罪人の処罰は連合国の申し合わせだから仕方がない。しかし、いたずらに多数の戦犯を摘発し、日本の恨みを買いたくない。戦争である以上、罪は双方が犯している。だが連合国からの強い要請があるので、戦争以外のことで最も悪質なことをやった者だけに絞って、戦犯として処理したい。中国側の責任者についても、その点、十分な注意を与えてるつもりだが、もし日本側に不満があれば、遠慮なく申し出てください。」


根本博
「東アジアの平和のため、そして閣下のために、私でお役に立つことがあればいつでも馳せ参じます。」






(※その後、根本博中将には日本国内でも台湾国内でもほとんど知られていない、上の動画のような知られざるエピソードがあります。蒋介石については「台湾とアジアの守り神 再興の夢 前編」で紹介したような一面もあり、賛否両論ありますが、中国大陸からの日本人引揚げに協力してくれたのも事実です。)




「ソ連軍兵士と性暴力の惨劇」

1945年8月25日 満洲吉林省敦化
日満パルプ製造(王子製紙子会社)敦化工場

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工場を占領したソ連軍
日本人男性を飛行場わきの湿地帯に全員連行。


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社宅に社員や社員家族の女性と子供約170人ほどを監禁


1945年8月26日夜明け

酒に酔い、マンドリン銃を空に乱射しながら、監禁部屋へと乱入するソ連兵。
女性たちの顎をつかみ顔を確認しながら、気に入った日本人女性たちを 連れて行こうとする

女性の一人
「やめてください!なんでもさしあげますから、それだけは後生ですからやめてください!!」
「助けて!!助けて下さい!!」

金指輪をさし出し、手を合わせて懇願する女性。
指輪はとりあげられ、引きずられていく

別の女性
「悪魔!おまえたちは悪魔だ!」

ソ連兵士の日本人女性への暴行は2日間に及び、交代で泣き叫ぶ女性たちを引きずっていく


ある女性
「殺して!!殺してください!!」

カミソリで動脈を切断
ソ連兵士の顔に血しぶきが飛ぶ。
思いもかけない女性の抵抗に慌てて逃げていくソ連兵士。


外部に隔離されていた男性社員、社宅の異変を知って塀の中に侵入するもソ連兵の警戒が厳しく近づくことができない。



夜明け頃、監禁されている座敷室内で女性約30名が服毒自殺
ソ連軍女性兵士が発見。


ソ連軍将校
責任を問われることを恐れ、これ以降の暴行を禁止。




1945年8月20日 満州国首都新京

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12歳から20歳くらいの日本人女性が、10名程タンカに乗せられて運ばれる。
全員が裸、大腿部は血まみれ、股間は紫に腫れ上がって、その原形がない
顔をゆがめつつ声を出している。

次の女性はモンペだけをはぎとられて、下腹部を刺されて腸が切口から血と一緒にはみ出していた
次の少女は乳房を切られて、片目を開けたままであった。


医師「10名に2~3名は舌を噛んで死んでいるんです。」


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若槻泰雄
(病院の玄関で大声で騒ぐ声に驚いた。ああ女とはこんな姿でいじめられるのか…道徳も教養も平和の中にのみあるのであって、ひとつ歯車が狂ってしまったら、そんなものは何の役にもたたない…。)




「王道楽土で待つ従軍看護婦」

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1946年3月 新京市長春第八病院

ソ連軍占領下の新京市の病院にソ連軍より、以下の命令書が届く。

(ソ連陸軍病院第二赤軍救護所へ看護婦の応援を要請。
期間 一か月
月給300円)


看護婦3名を選抜して送り出す、長春第八病院の堀喜身子婦長。


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堀婦長「決して無理はしないように。」

大島花江看護婦
「心配はいりません。敗戦国であろうと、世界の赤十字を背負う看護婦として、堂々と働いてきます!」



1946年4月

一か月の期限で送り出したものの、一か月の期限を過ぎても一向に連絡もなく、戻らない。
そんな中、さらに再派遣の要請が2回あり、そのたびに3名ずつ看護婦を送り出す。



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堀婦長
命令に背けば、医師や看護婦だけでなく、患者たちまで全員が殺されてしまう危険がある。病院としては、命令に背くことはできない。でも4度目の命令がきたら、こんどこそ絶対に拒否してやろう。)



1946年6月19日夜 新京市長春第八病院

夜、何者かが病院のドアをたたく。


音に気付いて玄関の戸を開ける宿直の堀婦長。
(こんな時間に何事だろう…。)


「婦長…。」
全身血まみれ、意識朦朧で髪を振り乱しドアの前で倒れこむ、大島花枝看護婦。


堀婦長「花江さん、大島さん! 目を開けて!」



大島看護婦
「婦長…。私たちはソ連軍の病院に看護婦として頼まれて行った筈なのに、あちらでは看護婦の仕事をさせられているのではありません。行ったその日から、ソ連軍将校の慰みものにされてしまいました
半日たらずで私たちは半狂乱になってしまいました。
約束が違う!と泣いても叫んでも、ぶっても蹴っても、野獣のような相手に通じません。
泣き疲れて寝入り、新しい相手にまた犯されて暴れ、その繰り返しが来る日も来る日も続いたのです。
食事をした覚えもなく何日目だったか、空腹に目を覚まし、枕元に置かれていたパンにかじりつき、そこではじめて事の重大さに気が付き、それからひとりで泣きました。
涙があとからあとから続き、自分の犯された体を見ては、また悔しくて泣きました。
たったひとりの部屋で、母の名を呼び、助けを求めて叫び続けました。

やがておぼろげながら、一緒に来た二人も同じようにされていることもわかりました。
ほとんど毎晩のように三人か四人の赤毛の大男にもてあそばれながら、身の不運に泣きました。
逃げようとは何度も思い、しかもその都度手ひどい仕打ちにあい、どうにもならないことがわかりました。

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記憶が次第に薄れ、時の経過も定かではなくなった頃、赤毛の鬼たちの言動で、第八病院の看護婦の同僚たちが次々と送られてきていることを知って、無性に腹が立ち、同時に我にかえりました。

これは大変なことになる。
なんとかしなければ、みんなが赤鬼の生贄になる。そんなことを許してはならない。
そうだ、たとえ殺されても、絶対に逃げ帰って婦長さんにひとこと知らせてあげなければ・・・

私は、二重三重の歩哨の目を逃れ、鉄条網の鉄の針で服が破れ、肉が引き裂かれる痛みを感じながら、下を潜り抜けて逃げました。後ろでソ連兵の叫び声と銃の音を聞きながら、無我夢中で逃げてきました
婦長さん。もう、ひとを送ってはなりません。お願いします…。」


そこまで話してから、息をひきとる大島花江看護婦。


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1946年6月21日朝 新京市長春第八病院

張宇孝人事課長
「もう9時を過ぎているのに一人も出勤して来ない。患者がもうあんなに来ているのにどうするつもりだ。」

堀婦長「変ですね~。」


このとき嫌な予感に襲われ、看護婦達の宿所の部屋へと急ぎ走る堀婦長。
線香が漂う部屋の中、既に服毒自殺した22名の看護婦を発見。






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22名の私たちが、自分の手で生命を断ちますこと、軍医部長はじめ婦長にもさぞかしご迷惑のことと、深くお詫びを申し上げます。
私たちは、敗れたとはいえ、かつての敵国人に犯されるよりは死を選びます。
たとえ生命はなくなりましても、私どもの魂は永久に満州の地に止まり、日本が再びこの地に帰ってくる時、ご案内をいたします。
その意味からも、私どものなきがらは土葬にして、この満州の土にしてください。








1946年6月22日

通訳を連れたソ連軍の二人の将校と二人の医師がやってきて、現場検証。

逮捕される覚悟で、国際的にも認められている赤十字の看護婦に行った非人道的行為を非難し、泣きながら事のてんまつを訴える堀婦長。


ソ連軍将校
「…。」



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ソ連軍将校
「ソ連の命令として伝えられることで納得のいかないことがあれば、24時間以内にGPU(ソ連秘密警察)に必ず問い合わせること。日本の女性とソ連兵が、ジープあるいはその他の車に同乗してはならない。」




1946年8月3日 新京市ミナカイデパート跡地下ダンスホール

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「ソ連陸軍病院第二救護所に送られた看護婦8名が長春市内ミナカイデパート跡の地下のダンスホールでダンサーをしている」
という情報を得た堀婦長、8名の看護婦と再会。


看護婦たち
「ふ、婦長…。」
「婦長さん!!」

堀婦長
「みんな…。大島さんがね…。」

看護婦の一人
「知っています。同僚たち22名が集団自決したことも聞いています。」

堀婦長
「だったらこんなところにいないで、早く帰ってきなさい。」

看護婦たち
「…。」

堀婦長
「あなた達の気持ちは、痛いほどわかる。だけど帰ってきてくれなかったら、救いようがないじゃない。」

堀婦長の言葉にうつむいて黙る8名の看護婦たち。


堀婦長
「どうして黙っているの?どうして返事をしないの?あなた達は、そういうことが好きでやっているのね。」

看護婦の一人
「婦長さんがそれほどにまで私たちのことを考えて下さるなら、お話します。私たちはソ連軍の病院に行ったその日から、毎晩7、8人のソ連の将校に犯されたのです。そして気づいてみたら、梅毒にかかっていたのです。私も看護婦です。今では大分悪化していることがわかります。こうなっては自分の体は屍に等しいのです。どうしてこの体で日本に帰れましょうか。仮に今後どのような幸運に恵まれて日本に帰れる日が来たとしても、こんな体では日本の土は踏めません。この性病がどんなに恐ろしいものか十二分に知っています。暴行の結果うつされた、この性病を私はソ連軍の一人でも多くうつしてやるつもりです。今はもう、歩くのにも痛みを感じるようになりました。それでも頑張って一人でも多くのお客をとることにしています。これが敗戦国のせめてもの復讐です。」

堀婦長
「…。」


その日の夜

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ひっそりと静まり返って誰もいなくなった薬剤室に入り、無断で梅毒の治療薬を持ち出す堀婦長。




数日後 新京市ミナカイデパート跡地下ダンスホール

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堀婦長
「みんな!今日はお薬を持ってきてあげたよ。みんなの分、たくさん持ってきたから。復讐する気持ちはわかるけれど、それでは際限がないじゃない。それよりも、この薬で、一日も早く体を治してちょうだい。そしてね。気持ちを立て直して、生きることを目標に努力しようよ!」



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看護婦の一人
「婦長さんのお心はありがたいと思います。だけどそんな貴重なものは私たちには使えません。私たちのことはもういいんです。本当に。もういいんです…。」


堀婦長
「そんなことを言ってはダメ!お願いだからあきらめないで。お薬、ここに置いていくから。それじゃ、帰るね…。」

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看護婦の一人
「婦長さん。そんなに私たちの気持ちがわからないなら、わかるようにしてあげます。」
スカートをたくしあげ、典型的な梅毒の末期症状を呈す股間を見せる。


堀婦長
「この程度なら時間はかかるけど、必ず治ります。根気よ!薬は十分あるのだから、あなた達も絶対に良くなるんだという強い気持ちで治療するの。治らない、治りっこないなんて、勝手な思い込みはやめなさい。もう商売なんかしてはダメ。良くなるのよ。毎日お互いに声をかけあって、手抜きをしないで治療するの。一緒に日本に帰ろうね。」

これ以降、薬を少しずつ確保し、貯めた薬が一定量になるたびに彼女たちのもとに通う堀婦長。




1948年9月 新京市ミナカイデパート跡地下ダンスホール


堀婦長
「長春(新京)にいる在留邦人に、帰国命令が出たよ! みんな日本に帰れるよ。午後7時に南新京駅に集まるように。きっと来てくれるよね?」

看護婦の一人
「婦長さん、ありがとうございます。7時までには準備して必ず参ります。」

堀婦長
「必ずね! 準備をして必ず来てよ。」



その日の夕方 南新京駅

三人の看護婦
「婦長さ~ん!!」


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堀婦長
「こっちよ~、早く~!あとの三人は?」

三人を貨車に引っ張り上げる堀婦長。

細井看護婦
「大丈夫です。あとから来ます。それより、これ。食糧の足しにしてください。」

堀婦長
「ええっ!こんなにたくさん?!こんなことしたらあなた達が困るじゃないの?」


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細井看護婦
「いいんですよ、婦長さん。私たちの分は、あとからくる娘たちが持ってきます。だからこれ、みなさんで。それからこれ、ほんの少しですけれど。何かに使ってください。」

堀婦長
「何なの?」

細井看護婦
「アハハ、あとでですよ~。じゃあ、わたしたち、澤本さんたちを探してきますね。」
貨車を降りる三人。

堀婦長
「わかった。でも、もうあまり時間がないと思うから早くしてね。」

「はい!」






突然響く2発の銃声。




「婦長さぁん!! さようならぁ!!」




少し遅れて3発目の銃声。



列車への乗車を待っている日本人
「おい!自殺だ!
「若い女3人みたいだ!貨車の下の方だ!」



堀婦長「うわぁー!!」

号泣し、貨車を飛び降り、横たわる彼女たちのところへ走り寄って、線路上に座り込む堀婦長。
細井看護婦の右手にはピストルが握られていた。






堀婦長
「わかる。わかるよう…。
あなたたち、こうするしかなかったのね。

ごめんね。ごめんね。ごめんね。

はやく気が付いてあげれなくて。
もう、なにもかも忘れて楽になってね。
今度生まれてくる時には絶対に
もっと強い運を持って生まれてね…。」








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今回は、ソ連軍の満州侵攻とそれに対抗する日本軍、満州に居留していた民間人に関わるエピソードを中心に取り上げてみました。本当は、731部隊や日本海軍が極秘に進めていた原爆開発計画における未完成原爆の爆発実験のエピソードについても取り上げてみたかったのですが、テーマの都合上やむなく割愛しました。

また、この時期の満州の様子を記したものは断片的な内容がほとんどで、混乱した状況で意外と当時の状況を詳しく伝える資料が少なく、編集に予想以上に時間がかかりました。

ただ今回の記事を作るにあたって特に大多数の人が知らない、おそらく今後も広く知られることがないだろう、日本が連合国に無条件降伏した後も民間人を守るために、国家の方針に背いてまで、命を顧みず戦った日本軍兵士たちがかつて存在した事、絶望と無念の中、日本への望郷を抱きながら苦しみ、亡くなられた多くの日本人女性がいた事、そのことを強調したかったので、それができたことはよかったと思います。

今まで長期にわたってお送りしてきた「名もなき魂の涙」シリーズですが、ようやく「本題」に取り組み始めることができました。悲しみはまだ続きます。





遥かなる島 名もなき魂の涙 第一部 日露戦争
遥かなる島 名もなき魂の涙 第2部 ソビエトスターリンの野望
遥かなる島 名もなき魂の涙 第3部 バルバロッサ作戦と大祖国戦争
遥かなる島 名もなき魂の涙 第4部 ドイツ第三帝国の落日
遥かなる島 名もなき魂の涙 第5部 戦争逆転の切り札
遥かなる島 名もなき魂の涙 第6部 戦勝権益争奪競争




満州と岸信介 巨魁を生んだ幻の帝国

遥かなる島 名もなき魂の涙 第6部 戦勝権益争奪競争 [歴史、社会学]

1944年末-1945年 日本




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(※日本本土を空襲爆撃した米軍の爆撃機B29は、ターボチャージャーを搭載しているため高度10,000mの飛行が可能でした。反面ターボチャージャーを搭載しない日本の従来の戦闘機では、高空での薄い空気のためエンジン出力が十分に得られず、上昇するのがやっとでB29の撃墜が困難でした。また米軍のP-51戦闘機が護衛につくようになるとますます撃墜が困難になりました。)




「東西冷戦の誕生」

1945年7月17日 ポツダム ツェツィーリエンホーフ宮殿

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トルーマン米大統領
(私はソ連を対日参戦させるためにポツダムに来た。スターリンはジャップとの戦争に8月15日に参戦するつもりだ。ソ連がやってくればジャップも一巻の終わりだ。スターリンとはやっていける。正直な男だ。しかし悪魔のように頭がいい。)


スターリン
日本の昭和天皇の親書(ソビエトを仲介して終戦を模索している)の内容をトルーマン米大統領に見せる。


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スターリン
「ソ連と日本とはまだ交戦状態ではなく、「日本に対しては提案の意図がわからない」とコメントした上で、一時的なはっきりしない回答を与えて、警戒心を鈍らせるのが良いと思うのですが。さもなければ全く無視して返答しないか、はっきり拒否するかですな。」

トルーマン
「一番最初のお考えにしたらいいでしょう。」

モロトフソ連外相
「日本の近衛特使がなにを提案するのかはっきりしない以上、大統領の考え方はまったく妥当だと思います。」



1945年7月23日 チャーチル英首相主催「さよならパーティー」
スターリン
「次の三人の首脳会談は東京で行いましょう。」



1945年7月24日 ベルリン郊外ポツダム ツェツィーリエンホーフ宮殿

全体会議後、トルーマンがスターリンに近づいて、ささやく。


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トルーマン
「実は巨大な爆発力を持った新兵器の開発に成功しました。この事実をソ連にも知っておいて欲しいのです。」

スターリン「それはおめでとう。教えてくれて感謝します。日本に対して効果的に使えるでしょう。」


その日の夜 ソ連代表団宿舎

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スターリン
「我々の研究を早めなければならない。」


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モロトフ外相
「米国は自国を高く売ろうとしているのでしょう。」

スターリン
「米国は初めから我々のことを頭に入れてなかった。ヤルタ会談のとき、原爆が実験段階にあることを言ってくれてもよかった。彼等は原爆を独占することで、自分たちの計画を押し付けようとしている。だが、そうはさせない。原爆使用禁止の見通しが立たないのなら、ソ連は遠からず米国の原爆独占に終止符を打つつもりだ。」




「スターリンの焦り」

1945年7月 満州 ハルビン

上村幹男中将 関東軍第4軍司令官
(8月3日にソ連軍の対日作戦の準備は終了し、その数日中に侵攻する可能性が高い。)

上村中将
ソ連迎撃の準備を整えよ。」



1945年7月16日 ポツダム ツェツィーリエンホーフ宮殿

スターリン
「(対日参戦)作戦の開始を10日ばかり繰り上げるわけにはいかないか?」


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ヴァシレフスキー元帥 ソ連極東軍司令官
「軍の集結や装備の輸送がらみで無理です。」



1945年7月26日

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モロトフソ連外相
(ポツダム宣言が発表されれば、ソ連が対日参戦する前に、日本が降伏してしまうかもしれない。)


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モロトフ
「ポツダム宣言の発表を2、3日延期してほしいのです。」


バーンズ米国務長官
あなたの政府が日本と戦争状態にないときに、この宣言についてソ連と協議するのは不適切だと思います。」





(※このポツダム宣言の参加国には米、英、中(蒋介石国民党)の三国のみであり、日本と中立状態にあったソ連は含まれていませんでした。このとき既に東西冷戦が始まっていたのです。)

1945年7月26日 東京 内閣記者団会見
鈴木貫太郎首相
「私は、ポツダム宣言声明はカイロ宣言の焼き直しと思う。我が国政府は、何ら価値のあるものだとは認めない。したがって、ただ黙殺するのみである。我々は戦争遂行に邁進するのみである。」



1945年7月31日

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トルーマン米大統領
「ソ連が平和と安全を維持するために、日本と戦争状態にある他の大国と協力する意思を示すことは、適切な行為でしょう。」


モスクワ→東京電報

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佐藤駐ソ大使
「私はスターリンが日本と自発的に協定を結ぶ必要はないと考えている、と思います。この点についてあなたの考えと現実との間に重大な食い違いがあると思います。」


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東郷茂徳外相
ソ連に何とかして対日和平工作の特別使節の役割を持たせるように、さらに努力を続けてほしい。この件に関しては一日を無為に過ごせば、千年の悔いを残すことになるかもしれない。あなたは直ちにモロトフと会談してほしい。」


佐藤駐ソ大使
ソ連が好意的中立の立場を取るとは到底思えません。これは今始まったことではないのです。私がソ連に着任して以来ずっとそうです。対ソ工作に望みをつなぐべきではない。すぐに降伏すべきです!



1945年8月6日 日本 広島市



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1945年8月7日 モスクワ
米国による日本への原爆投下ニュースに意気消沈、焦るソ連指導部。


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スターリン
対日参戦の指令書に署名。
8月11日に予定していた作戦開始を、9日に変更。




「ソ連対日参戦」

1945年8月8日 モスクワ クレムリン宮殿

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佐藤駐ソ大使「ベルリン会談は、いかがでしたか。」


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モロトフ外相
「今日は、重要な通告をしなければなりません。おかけください。
日本は、連合国によるポツダム宣言を拒否しました。そのため、日本がソビエトに求めていた和平調停は意義を失いました。連合国はソビエト政府に対し、日本に対する戦争に参加するように提案しました。ソビエト政府は、連合国に対する義務に従い、無条件降伏を拒否したことでドイツ国民が味わった危険と破壊から、日本国民を回避させるために、日本と戦争状態に入ります。」


佐藤駐ソ大使
「私はこの3年間、日ソ中立条約を厳守し、日ソ間の平和を維持するために、懸命の努力を払ってきました。今、ソビエト政府の宣言を聞いて、この上ない遺憾の意をあらわさざるを得ません。このことを日本政府に打電させてもらえますでしょうか。」


モロトフ外相
「どんな電報でも、暗号でも構いません。このような事態になったことを個人的には遺憾に思っています。私は過去数年間、あなたの日本大使としての行動にすっかり満足してきました。また、直面する困難にも関わらず、今日まで両者が両国政府との間に友好関係を維持できたことをうれしく思います。」


佐藤駐ソ大使
「私は貴政府の善意とおもてなしに感謝しています。それによって、私はこの困難な時期にモスクワにとどまることができました。我々が互いに敵として別れなければならないのは全く悲しい事です。しかしこれも仕方がありません。ともかく握手をして別れましょう。これが最後になるかもしれません。」


佐藤大使、緊急でこの内容を東京に打電しようとするが、駐ソ日本大使館の電話回線は全て切断済
無線機はGPU(国家安全保衛部)に没収されていたため、通常の国際電報を使用して東京に打電する。



2時間後
ソ連軍が満州に侵攻





ソ連軍 157万人
戦車・自走砲 5556両
航空機は3446機

日本関東軍 68万人
戦車 200両
航空機 200機



その日の夜


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スターリン
ソ連の先頭部隊がすでに満州内部、12kmの地点に前進した。この時刻までに情勢が進展すると誰が想像しただろうか!」

ハリマン駐ソ米大使
「ところで閣下は広島への原爆投下の効果をどのようにお考えですか?」

スターリン
「日本は今、降伏に同意できるよう内閣交代の口実を探しているように思います。原爆は日本にその口実を与えることになるでしょう。
ソ連の科学者たちも原爆製造を試みていますが、まだ成功していません。もしアドルフ・ヒトラーが原爆を完成させていたら、決して降伏などしなかったでしょうな。」

ハリマン駐ソ米大使
「ソ連が原爆を開発した側についたことは幸運でしたね。」



1945年8月14日 東京 皇居防空壕





1945年8月15日 東京



日本、ポツダム宣言を受諾。連合国に無条件降伏
米軍、全軍に停戦命令。





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名もなき魂の涙 外伝

朝鮮半島、中国大陸戦線

1943年11月23日 中国湖南省北部 河洑山



(※動画は日中戦争、常徳殲滅作戦における日本軍と中国蒋介石国民党軍の攻防を描いています。大東亜戦争に中国戦線において降伏したのはこの中国蒋介石国民党軍で、のちの中国共産党の前身である八路軍ではありません。)




「南京大虐殺の真実」




















(※言葉では嘘をつくことはできますが、写真は嘘をつくことはできません。)



「従軍慰安婦の真実」










「自虐史観の真実」














「大東亜戦争の真実」






















1945年6月5日 日本 神戸三宮



(※2時間ありますので、時間のある時に観てください。日本国内ではあまりにも有名なアニメ映画なので、観たことある人がほとんどでしょうが。)





今回、コメントしたかったことについては上に掲載した動画の作者さんが十分に語ってくれていますので、特に言うべきことはありません。特定の国が数々の証拠もなく歴史を修正し、捏造することによって、特定の国を誹謗中傷し、名誉棄損を仕掛けて永遠にいわれなき謝罪を仕掛けていく試みと策略は打破しなければなりませんね。

しかし、そのためには努力して正しいことを貫く「力」も必要なのです。
「虎の威を借る狐になることなく」、ですね。
なぜなら保護者を後ろ盾とした虎の威を借る狐は「真に」国際的に信用されることはないからです。
当方が安倍さんに最も言いたいことです。




遥かなる島 名もなき魂の涙 第一部 日露戦争
遥かなる島 名もなき魂の涙 第2部 ソビエトスターリンの野望
遥かなる島 名もなき魂の涙 第3部 バルバロッサ作戦と大祖国戦争
遥かなる島 名もなき魂の涙 第4部 ドイツ第三帝国の落日
遥かなる島 名もなき魂の涙 第5部 戦争逆転の切り札




遥かなる島 名もなき魂の涙 第5部 戦争逆転の切り札 [歴史、社会学]

1945年3月19日 日本 四国西部上空






(※日本海軍の航空機、零戦の後継となる新型戦闘機、紫電改は戦後に一部が米国に接収され、米国の良質な燃料を入れて飛ばせたところ、米国のどの戦闘機も紫電改に追いつくことはできませんでした。)



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1945年4月7日 日本 九州南西沖




(※戦艦大和は、現在の貨幣価値に換算して約2,600億円の巨費が投じられた日本海軍の象徴ともいうべき戦艦です。米軍が上陸した沖縄の海岸に乗り上げて陸上砲台となる特攻を行うため出撃しましたが、途中九州南西沖で米軍機300機以上による集中攻撃で魚雷と爆弾30発以上が命中、撃沈されました。大戦中には戦艦らしい戦果をあげることはできませんでしたが、艦船に採用された様々な技術は、戦後日本の重工業繁栄の土台となりました。)




「家族、友のために祈る詩」

1944年10月19日 フィリピンルソン島 マバラカット飛行場
第201海軍航空隊本部


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大西瀧治郎海軍中将
「戦局は皆承知のとおりで、もし今度の作戦に失敗すれば、それこそ由々しき大事を招くことになる。それには敵空母の甲板をつぶして飛行機の発着を不可能にする必要がある。少なくとも1週間、空母の甲板が使えなければ良いことだ。そのためには零戦に250kg爆弾を抱かせて体当りさせるほかない。これ以上に確実な方法は無いと思うが。」


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城英一郎大佐
「もはや通常の戦術ではこの戦争には勝てません。一艦一殺!体当たり攻撃あるのみです。私は軍令部へ行き、私を指揮官とした体当たり特別攻撃隊を編成するよう意見を具申するつもりですが、その前に大西次長の推薦を頂きに来ました。ぜひ!お願いします!戦局を一変し勝利を掴むには、もはや決死ではなく、必死、十中十死の体当たり攻撃しかないと私は確信します!」


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小園安名中佐
「私は反対です。パイロットを鉄砲玉のように飛ばされてはパイロットがあまりにもむごいです。そんな胸糞悪い戦法とれません!当基地内でも事故は連日のように起きています。飛行時間が200時間を割るものでも第一戦に送らなければならないのが現状であります。」



司令
「今日、マニラから大西次長がお見えになられた。前から海軍内で問題になっていた特別攻撃法を提案された。だが、まだ私はお受けするとは言ってない。貴様らの率直な意見が聞きたい。」


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飛行員
「良いも悪いもありませんよ副長。同期の奴らは半分以上もアメ公にやられてしまったんです。ここで仇を取ってやらないと、あの世で合わす顔がありません!

「そうですよ。どうせ一度は死ぬんです。死ぬなら敵空母のど真ん中にぶつかってやります!

仇討ちだぞ!みんな!」

「おおっ!!」


(※このときに「神風隊」と命名される、特別な体当たり特別攻撃隊が編成されます。しかし戦争末期には、この体当たり自爆攻撃が組織化、半ば強制化されていきます。)



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1944年11月
大西瀧治郎
後世史家のいかなる批判を受けようとも、鬼となって前線で戦う。天皇陛下が御自らのご意志によって戦争を止めろと仰られた時、日本民族の将来を信じて、私は必ず特攻隊員たちの後を追うだろう。」





大西瀧治郎
「地上にいれば恨まれたたかれ、空に舞い上がればなすすべもなく撃ち落とされる…かわいそうだよ、あまりにもかわいそうだよ。特攻は続ける。部下に死に場所を用意してやるのも将としての責任なんだよ。私はそれが彼らへの大愛だと信じている。」

特攻で亡くなった人たちの全ての名前を記録し、線香をあげ、涙を流す毎日。

俺が握手して特攻で死なせた若者が261人もいるんだよ…。彼らは家庭生活も知らないで死んでいったんだよ…。こんな俺が家庭生活ができるか!!」






1945年5月26日 鹿児島県 万世飛行場

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特攻出撃数時間前





(※特攻機で出撃したものの、奇跡的に一命を取りとめた搭乗員の最期です。)

1945年8月15日 東京
大西瀧治郎
「国民も死んだ者もみんなが納得できる負け方、この戦争はね…国民が好きで始めたんじゃないんです!負けるということはですよ?天皇陛下御自ら戦場にお立ちになって、閣僚も我々幕僚も敵に体当たりして破れてこそ、負けたと言えるんじゃないですか?和平会議なんかは生き残った国民が考えればいいだけのことです…私はそうなることを信じて特攻隊を飛ばしたんです。それを信じてくれたから、特攻隊員の若い諸君は死んでくれたんです!何人が特攻で死んだと思いますか?2600人もですよ。私が一人ひとり握手して送り出したんです。そんな彼らに、誰が…日本が負けたと言えますかっ!!」



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大西瀧治郎
「特攻隊を作った私への非難は、死後も止むことは無いだろう。百年後でも理解されることはないだろう。」





1945年8月16日 東京

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特攻隊の立派な霊たちに告げる。
今までよく戦ってくれた。ありがとう。
心から君たちに感謝する。
君たちは日本の勝利を信じて、肉の玉として散って行った。
しかし君たちの尊い信念は遂に達成することは叶わなかった。
私の死をもって、君たちと君たちの遺族に謝罪する。

次にこれからを生きる戦後の一般の青少年たち。
軽率な行動は敵に利益を与える行動だと思って、我慢して耐えてほしい。
だが、どんなに苦しくても日本人としての誇りを決して失わないでほしい。
そして子供たちは日本という国の宝だ。
平和な時代であっても、特攻(で散っていった者達の願いを受け継ぐ)精神を持ち続け、日本民族の福祉と、世界人類の為に最善を尽くしてください。

大西瀧治郎






「握りつぶされたソ連軍侵攻の兆候情報」

1945年2月 スウェーデンストックホルム

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ストックホルム→東京電報
小野寺信少将
「ヤルタ密約によると3か月後の8月8日以降にソ連は対日参戦する予定です。ソ連参戦までに戦争を終結するべきです。」


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小野寺少将、中立のスウェーデン王室を通じて、英国王室に和平工作するように依頼。



1945年6月24日 東京→ストックホルム電報

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日本大本営返信
「帝国は必勝の信念を持って戦争を続行する決意があることは貴官も承知のはず。しかし最近ストックホルムにおいて、中央の方針に反して、和平工作をする者があるとの情報がある。」




1945年4月5日 モスクワクレムリン

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モロトフソ連外相
ソ連政府は日ソ中立条約の破棄を日本政府に通告します。ソ連政府の条約破棄の声明によって、日ソ関係は条約締結以前の状態に戻ります。」


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佐藤尚武駐ソ日本大使
「条約の第3条に基づけばあと1年は有効なはずです。」


モロトフソ連外相
「誤解がありました。日ソ中立条約は1946年4月までは有効です。」

(※ここでモロトフ外相は日ソ中立条約が「1946年4月までは有効」だと発言訂正しますが、後の1945年8月8日にソ連は対日宣戦布告します。
ただ第3条の条文は「期間満了の一年前に、条約の破棄を通告しないときは、条約は次の5年間は自動的に延長される」ということであり、破棄した場合、期間満了まで条約は有効とするような規定ではなく、佐藤大使の「あと1年は有効なはず」との主張は根拠として非常に弱いものでした。
残念ながらしたがって、戦後の日本の歴史家の主張である「ソ連は日ソ中立条約に一方的に違反して日本に攻めてきた」との論拠は非常に弱いのです。)



1945年4月26日 ソ連シベリア南部 チタ日本総領事館
チタ→関東軍→…× 東京 電報
浅井勇陸軍中佐
「シベリア鉄道の軍事輸送は1日につき12-15列車に及び開戦前夜と思わさせるものがあります。ソ連の対日参戦は今や不可避と考えられ、約20個師団の兵力輸送には約2か月かかるでしょう。」


同日 東京大本営本部

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河辺虎四郎中将
(スターリン氏はついに決意したのだろうか。私はスターリン氏にこの決意があることを信じることが出来ない。彼の対日好感、対米英不信を期待しているのではないが、打算に優れた彼が今更、東洋に新戦場を求めることはあり得ないと密かに考えている。これは単に私の希望だろうか。)


1945年6月10日
チタ→関東軍→…× 東京 電報
原田統吉
「7月か8月頃に、ソ連侵攻の可能性が最も高いです。」


関東軍転電禁止令
松村知勝陸軍少将 関東軍作戦課長
「(浅井電報、原田電報共に)東京に転電するな!

ソ連来襲の兆候を知らせる電報、東京に届かず

(※ソ連領域からの電報は全て満州の関東軍を中継して東京の大本営に転電していたのですが、ソ連軍による満州侵攻の兆候を知らせる電報を全て握りつぶしました(理由不明)。一説には作戦課の中心メンバーだった松村知勝や瀬島龍三はソ連に通じているソ連側工作員とするものもありますが、真相は不明です。)



1945年6月18日 米国ワシントン ホワイトハウス

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アーネスト・ジョゼフ・キング海軍作戦部長
「ソ連参戦が望ましいかどうかにかかわらず、ソ連参戦は必要不可欠ではない。頭を下げてまで参戦してもらう必要はないことを強調したい。確かに日本を叩くにはコストがかかるが、この点について、疑問の余地はない、アメリカ単独でやってやれないことはない。この現実をしっかり把握しておくことは、ポツダム会談で、大統領の手札を強化すると考えている。」



1945年6月26日 モスクワ

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キリル・アファナシエヴィチ・メレツコフ元帥
北海道まで占領してみてはどうか?」


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モロトフ外相
「ソ連軍の北海道上陸は、連合国によって乱暴なヤルタ協定違反と糾弾されるでしょう。」


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ヴォズネセンスキーソ連国家計画委員長
「強力な防衛線を敷く日本軍の攻撃のもとにソ連軍を曝すべきではありません。」


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スターリン→トルーマン米大統領
千島と北海道北部の日本軍をソ連軍に対し降伏させるようにお願いする。周知のとおり日本は1919年から21年にかけ、ソ連の極東全体を占領下に置いた。もしソ連軍が日本領を占領しないとすれば、ソ連の世論は大いに憤激するでしょう。」

(※1919年から21年に、日本軍約73,000人を主とする連合軍が、ロシア革命を起こしたレーニン率いる革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出するという大義名分でシベリアに出兵し、ソ連の極東地域を占領しました。スターリンは電報でそのことを言っています。)



1945年6月30日 モスクワクレムリン宮殿
中国国民党宋子文首相と会談。

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スターリン
「ソ連は極東での戦略的影響力を強めねばなりません。日本はドイツ同様、無条件降伏しても破滅はしない。日独国民は非常に強い。ベルサイユ条約の後、ドイツは15-20年で復興したが、同じことが日本でも起きます
ソ連にはクリル諸島が必要なのです。我々はオホーツク海に閉じ込められて、太平洋への出口がない。日本を東西南北あらゆる方向から弱体化させることが必要で、そうなれば日本もおとなしくなる。しかし我が極東には適当な港がない。だから中国の港がいる。我々には大連と旅順が30年間必要です。日本が降伏後に復興しても、我々はそこから日本を攻撃できる。」





「原爆開発競争」

1943年6月 東京 理化学研究所

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仁科芳雄博士
「核分裂のエネルギーを利用するには少なくともウラン10kgが必要で、この量で黄色火薬約18,000t分の爆発エネルギーが得られます。」


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東条英機首相兼陸軍大臣
米独では原爆開発が相当進んでいるようだ。遅れたら戦争に負ける。」

東条英機首相、仁科研究室に原爆開発を指示。
(※この仁科研究室による原爆開発研究は2号研究と呼ばれるようになります。)



1944年2月7日 東京国会議事堂 貴族院(衆議院)

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田中館愛橘議員
「ウラニウムを燃料に使いまして、それから動力をだそう、そういう企てもあると聞きますが。」


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東條首相
「(大日本帝国は)科学技術の偉大な力を持っているのであります。この力に目覚め、しかも進んで広く外国の長所を取って、世界の科学水準を突破しようと努力中であります。」



1944年2月 東京皇居

東條首相
「陛下、戦局は極めて困難な状況下にあり、起死回生の決定打として、原爆の製造を急がせておりました。完成すれば最初にハワイに落とし、その威力を示し、戦況を日本軍有利に導く計画です。」


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昭和天皇
「数ヶ国が新型兵器開発を競っているとの事だが、日本が最初に完成し使用すれば、他国も全力を傾注し完成させ、使ってくるようになるだろうから、全人類を滅亡させる事になる。それでは日本が人類絶滅の悪の宗家になるではないか。またハワイに投下する計画との事だが、ハワイには日本の同胞が多数移住し、現地民とともに苦労し今日を築きあげたところである。そのような場所に新兵器を使用する事には賛成できない。」



皇居退出後

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杉山元参謀総長
「参謀総長の立場にある者として日本を敗戦に導くことはできない。戦争とは勝利を導くことが重要であり、今の日本は手段を議論できる時ではない。勝てば陛下にお喜び頂けるに違いない。そして陛下が求められる世界平和を実現できるではないか。」


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東條首相
「いや、陛下のご意志に反することは出来ないのだ…。」

(※この出来事の後、東條首相は辞任。内閣は解散、小磯国昭が後継首相に任命されることになります。)



1944年6月
杉山元陸軍大臣、再度秘密裏に原爆開発を急がせることを決定するが、原爆を積むロケットの燃料製造過程で誤爆事故が発生。この事故が昭和天皇に知られる。



1944年7月 東京皇居

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昭和天皇
まだやっていたのか!!


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杉山元陸軍大臣
「…。」



1945年2月 東京 杉山陸軍大臣私邸

杉山元陸軍大臣
「私は日本が勝っても負けてもこの責任はとる覚悟だ。例え勝てたとしても天皇陛下の大御心を煩わせた罪は万死に値する。更に、多くの部下を死に至らしめた責任から逃れることはできない。いずれにしてもその時が来れば自決してお詫びする覚悟だ。」

(※しかし、原爆開発自体は陸海軍それぞれ別の開発計画を持って、昭和天皇の知らないところで極秘裏に続けられました。)



1945年3月24日 ドイツユトランド半島 キール



(※敗戦目前のドイツによってドイツ人技術者、当時のドイツ軍の新兵器試作用部品と設計図、原爆の材料であるウラン560kgをドイツ潜水艦Uボートで日本へ輸送する最後の任務が与えられ、潜水艦建造技術を学んだ友永英夫技術中佐、ジェットエンジン技術を学んだ庄司元三技術中佐が同乗していました。出港後、北大西洋上でドイツは降伏、艦長は米軍に降伏しようとしますが、同乗していた友永中佐と庄司中佐は艦内から出ることをを拒否し自殺。ドイツ最後の任務のUボートは日本へ到着することはできませんでした。)




1945年5月 米国サンフランシスコ 
パレスホテルの専用ガーデンルーム





1945年7月16日 米国ニューメキシコ州ソコロ南東



米国人類最初の核実験「トリニティ実験」を実施。
(※動画はイメージです。)





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今回はソ連軍の対日参戦の兆候に経緯と絡んで、大東亜戦争末期の狂気のテーマ、特攻と原爆について取り扱ってみました。当テーマの趣旨は日露関係史で、最終的にはあの島々含めて日本はどうしていくのがいいか、具体的な話の進め方の方策まで行きたいのですが、当初予想していたよりも量が多くなりまして、もうしばらく知られざる物語におつきあい頂きたいと思います。
単に歴史事項を並べるだけの話を読んで頂くだけでは、現在の安倍さんの考え方では交渉に失敗して、禍根を残すことになりますので、日露戦争から話を持ち出して、現代にいたるまでの伏線を全て洗いざらい掘り下げることにしたため、想像以上の分量になってしまいました。

当方が歴史家と言えるかどうかは微妙ですが、歴史を記す者として、例えば日本人であれば日本が有利になるように書くのが普通ですが、当方はこれを二流として、一流は、自国の都合の悪い部分も他国の都合のいい部分も徹底して公平、客観的に「事実のみ」を記すものだと常々考えています。
その考え方は当シリーズの記事を作る際にもいつも心がけていることです。
先日、択捉島でロシアの青年フォーラムが開かれ、それに出席したロシア人ブロガーが「歴史は戦勝国が記す」というタイトルで講演したようですが、「まだまだホームバイアス(自国をひいきして物事を考える心の働き)がかかった見方しかできないのは二流だな。」と自負しました。



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あと、最近メドヴェージェフ露首相が択捉島に訪問し、それに対して岸田外相が駐日露大使を呼び出して抗議したようで、自身のロシアへの訪問も延期したようです。

岸田さん、直接そこへ行っていない人に抗議とか、そんなのいいです。
本当に北方領土が日本の領土であると思っていて、どうしても何か言いたいのなら例えば

「わが国へようこそ、と首相にお伝えください。」

くらいの格上の発言をしてほしいですね。別に言わなくてもいいですが。

当シリーズ記事の最後に今後の交渉にあたって、何を言い、提案するべきか、何を言っていいのか、何を言うのは厳禁か、についても、しっかり説明したいと思いますので、物語がそこに至るまでもうしばらくお待ちください。




ところで本編とは直接関係のない話題ですが。


※安倍さんのみ閲覧注意
(激怒する心の準備ができたら見てください。)

安倍さんはご存じかどうかはわかりませんが、ベンジャミン・フルフォードさんが戦後からの話について非常に重大な情報を一言さらりと言っています。1:12-1:19のあたりですね。
(死因について歴史的に隠蔽、虚偽工作の疑いあり。)

最近の安倍さん、70年間盗聴され続けてきたのに、「米国に全幅の信頼を置いている。」と発言したり、防衛省の司令部中枢に米国の軍人を入れようとしているのは非常に残念ですね。
当方は安倍さんが命惜しさに米国に日本を売り渡す売国奴になってしまったのかどうかが心配です。




遥かなる島 名もなき魂の涙 第一部 日露戦争
遥かなる島 名もなき魂の涙 第2部 ソビエトスターリンの野望
遥かなる島 名もなき魂の涙 第3部 バルバロッサ作戦と大祖国戦争
遥かなる島 名もなき魂の涙 第4部 ドイツ第三帝国の落日


日本・原爆開発の真実

遥かなる島 名もなき魂の涙 第4部 ドイツ第三帝国の落日 [歴史、社会学]

「モスクワ侵攻電撃戦」

1941年~ 北欧フィンランド





1941年11月16日 ソ連モスクワ西部ヴォロコラムスク近郊



(※動画はカザフスタンからモスクワ防衛のために出征、戦死したパンフィロフ将軍率いる28人の兵士の話を描いています。)



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1941年10月4日 東京→モスクワ電報
リヒャルト・ゾルゲ赤軍諜報員(ソ連の対日本スパイ)
「日本軍が北進(ソ連、モンゴル等進撃)を中止したことにより、前線部隊が日本への帰国を開始した。今年中の日本軍のソビエト参戦はない。」

(※この2週間後、ゾルゲは日本の特高警察に逮捕されることになります。)



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1941年12月26日
ソロモン・ロゾフスキー ソ連外務次官
「日独伊三国はいずれ殲滅されるでしょう。今後、すべてを決定するのはソ米英であり、日本が我々との戦争に入ればソ連と日本との戦後関係、特に国境問題を検討しなければなりません。日本の艦隊が今後もソ連を太平洋から分断し、クリル諸島の各海峡、宗谷、津軽、対馬の各海峡を封鎖することには耐えられません。」



1942年~ ドイツ軍占領地域



(※ドイツ軍の占領地域においてモスクワ放送の呼びかけに応じて、赤軍パルチザンと呼ばれる共産主義のゲリラ部隊が輸送機関を中心に破壊活動を行いました。普段は民間人やドイツ軍兵士になりすましているため、純粋な一般民間人との区別がつかず、無差別殺戮の応酬となりました。動画はドイツ軍の貨物車両に乗せられたユダヤ人を解放するために襲撃を仕掛けるポーランドのパルチザンを描いています。)




(※撃ち損じた兵士は、撃ち方が下手だったわけでも、臆病だったわけでもありません。)




(※赤軍パルチザンに対する見せしめの公開処刑です。)




(※大戦中、ドイツ軍によって組織的にユダヤ人、ソ連兵捕虜に対して、拷問、虐殺が繰り返されました。)



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1942年8月12日 モスクワ
スターリン
「日本を攻撃しろと?正気の沙汰じゃない!」


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ハリマン米大統領特使
「ルーズベルト大統領からの親書をお持ちしました。単刀直入に申し上げると、ソビエトが日本に宣戦布告すれば援助は続けるという事でした。」

スターリン、親書を受け取り緊急貸与内容が書かれている親書に目を通す。

スターリン「戦車や戦闘機は書いてないようだが……」

ハリマン「日本軍の上陸に備えて我軍の戦車と戦闘機は余裕が無く貸与出来ません。」

スターリン「アメリカは我々に、日本への陽動作戦を取らせるつもりか。」

ハリマン「閣下、陽動が成功すれば戦車や航空機は貸与できます。」

スターリン「戦闘が続く限り貸与も続くと受け取って良いのだな。」



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1942年8月 モスクワ

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スターリン
「ヒトラー軍がウラル山脈を越えるような事態になれば、我々は亡命政権のリストに入ってしまうかもしれない。ドイツが勝利すれば、日本もソ連に参戦してくる。それはファシスト諸国の強大化を意味する。」

モロトフ外相「それは敗北でしょう。」

スターリン
「死ぬことはいつでもできる。チャーチルも英国がドイツ軍に占領されれば、カナダに渡ってでも戦い続けると言っていた。ロンドンには十数か国の亡命政権ができている。自分はロンドンには革命前に行ったからもう十分だ。インドなら適当な場所かもしれない。」




「攻勢から守勢にまわるドイツと日本」

1942年6月 クリミア半島セヴァストポリ



(※動画は309人のドイツ兵を射殺した、ソ連軍特別女子志願兵の名スナイパー、リュドミラ・パヴリチェンコの実話に基づいています。)



1942年6月4日 中部太平洋 ミットウェー島沖



(※有名なミッドウェイ海戦です。この海戦で日本海軍は真珠湾攻撃にも参加した精鋭4空母とベテランパイロットの多くを失います。)



1942年6月28日~ ソ連スターリングラード(現ボルゴグラード)






(※冬期には-18~-50℃にもなる、スターリングラードでの独ソ両軍の攻防戦は半年以上に及び、一旦は都市を制圧したドイツ軍はソ連軍に包囲され、撤退することになります。これまで攻勢だったドイツ軍が守勢に回るなど大戦の転換点なる象徴的な戦いとなりました。)

1942年7月28日

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国防人民委員指令第227号
スターリン
戦闘の恐怖から少しでも後退する兵士は情け容赦なく射殺せよ。」

この指令によって、スターリングラードにおけるソ連逃亡兵13,500人を射殺又は戦車で引き潰す



1942年8月21日 太平洋ソロモン諸島ガダルカナル島



(※動画は一木支隊の生き残りの最期を描いています。)



1943年5月12日 東京


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東條英機首相
「(日独共同して)東西両戦線を統一して決定的勝利を得るためには、我が国より進んでソ連を討ち、その力を粉砕するより他に方法がない。日本の国力から考えて可能だろうか?」


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重光葵外相
「それは不可能です。ソ連とはこの際絶対に穏便に保つより他にありません。ソ連を挑発するのは飽くまで避けたほうがよいでしょう。」


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木戸幸一内大臣
「この際対ソ関係を急速に好転させておき、必要によってはソ連を仲介で英米と太平洋問題の解決を模索する必要があると考えています。この点大いに考慮していただきたいのです。」



1943年10月19日 モスクワ

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コーデル・ハル米国務長官
千島列島・南樺太をソ連領とする見返りに、日本との戦争に参戦してほしいのです。」


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ヴャチェスラフ・モロトフソ連外相
「即答はできません。」



1943年10月30日 モスクワ会談最終日 晩餐会席上
ハル米国務長官との会話

スターリン
ドイツを敗北させることができたらソ連は日本に対して参戦するつもりだ。ルーズヴェルト大統領には極秘にこれを知らせるように。」



1943年11月28日 イラン テヘラン
テヘラン会談(米英ソ首脳会談)

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スターリン
「残念ながらわが軍が西部に集中し、対日作戦のための軍事力を有していないため、我々はしばらく米英軍と協力することはできません。極東のわが軍事力は防衛のためだけなら充分であるが、攻撃作戦には少なくとも3倍に増強しなければならない。これはドイツを降伏させたとき実現できる。我々はなお、ドイツ戦線にかかり切りであり、現段階で対日参戦はできかねます。ドイツに勝利した後、参戦しましょう。」



1944年7月7日 太平洋マリアナ諸島サイパン島





1944年8月
ヴァシレフスキー参謀総長との会話
スターリン「軍国主義日本との戦争で極東の諸部隊の指揮を君にまかせる。」



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1944年11月7日 ソ連革命記念日党大会演説

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スターリン
「侵略国たる日本が、平和政策を固執する米英より良く戦争準備をしていた時、真珠湾の事件、フィリピンその他の太平洋諸島の喪失、香港・シンガポールの喪失のような不愉快な事実の発生したことは偶然とは考えられない。この先、我がソ連が日本から攻撃を受ける可能性は否定できない。しかし、我々はすでに迎え撃つ準備はできている。偉大なる祖国万歳。」




「ソ連対日スパイ ゾルゲの最期」

同日 東京 巣鴨拘置所
リヒャルト・ゾルゲ赤軍諜報員(ソ連の対日本スパイ)
治安維持法、国防保安法違反で死刑確定。

検察官
「東京地方裁判所は絞首刑による死刑を言い渡し、最高裁判所は控訴を取り下げました。これはご存知ですか?」

ゾルゲ
「はい、知っております。」

検察官
「執行は1944年11月7日、つまり今日行われることになっております。覚悟はよろしいですか?」

ゾルゲ
「覚悟は出来ております。」

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ゾルゲ
「私をはじめ私のグループは決して日本の敵として日本に渡来したのではありません。また私たちは一般のいわゆるスパイとは全くその趣を異にしています。英米諸国のいわゆるスパイは日本の政治上、経済上、軍事上の弱点を探り出し、これに向って攻撃を加えようとするものですが、私たちはこの様な意図から日本における情報を収集したのではありません。私たちはソ連と日本との間の戦争が回避される様に力を尽してもらいたいという指令を与えられたのです。私は日本において、共産主義革命を起こす計画も、共産主義思想を伝播する意図もまったく持ち合わせてはいませんでした。自分だけが諜報網の全責任を負えば十分です。」

検察官
「最後に何か希望はありますか?」

ゾルゲ
「希望…ですか。そうですね。もし許されるのならば、モスクワへ帰らせて頂きたいと思います。」



「これは私の最後の言葉です。ソビエト赤軍、国際共産主義万歳。」

リヒャルト・ゾルゲ、絞首刑




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Катя(エカテリーナ)へ
私の思いがどれほど強いものか、君には想像つかないのかもしれない。
でもきっとわかってくれるはずだ。
君と一緒に暮らしたい。
いつかそういう時代がやってくるだろう。



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「もし平和な社会に生まれ、政治的に平和な環境にいたら、私は間違いなく学者になっていたはずだ。少なくとも、諜報員としての仕事を選ばなかったことは確かだ。私は戦争を憎む。あらゆる戦争を憎む。」




「ヤルタ会談」

1945年2月8日 ソ連クリミア半島ヤルタ近郊ユスポフ宮殿

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スターリン
「わが太平洋艦隊の状況と(日本との戦争)準備はどうなっている?」


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ニコライ・クズネツォフ海軍司令
対日参戦には米海軍からの大量の援助が不可欠です。」


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ウインストン・チャーチル英首相
ソ連艦隊が太平洋に現れることを歓迎し、日露戦争の損失を埋め合わせすることを期待します。」



1945年2月11日 ソ連クリミア半島ヤルタ近郊リヴァディア宮殿

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ルーズベルト米大統領
「ソ連がドイツ降伏後数か月以内に参戦し、背後から日本を攻撃してほしい。」

スターリン
「我が国の犠牲者はすでに2,000万人を超えている。日本とは日ソ中立条約の有効期限内であり平和状態にある。なのに日本を攻めるとなれば、それなりの理由が必要だ。日本占領についても、ドイツ分割占領方式にならって、日本の東半分、少なくとも北海道の占領を認めてほしいのですが。
なぜソ連が日本を敵として参戦するのか。その理由をソ連国民に説明するのに困難を極めるだろうということです。なぜ大きな紛争を抱えてもいない日本を敵として、ソ連が戦争しなければならないか、国民は理解できないでしょう。日露戦争で失った領土・権益の回復ができるならば、国民は対日戦争を国家利益に関わることなのだと納得し、我々が参戦の理由を説明することもずっと簡単になります。」

ルーズベルト「わかった。」

ハリマン駐ソ米大使
「大統領。ソ連に大きく譲歩する合意はお考え直されたほうがよろしいかと。」

ルーズベルト
ソ連が対日戦の助っ人になってくれる大きな利益に比べれば、千島は小さな問題だ。」
(※この会談の2か月後、ルーズベルトは脳卒中で死去。以降は副大統領のトルーマンが大統領に昇格、就任します。)


モスクワ クレムリン宮殿執務室

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スターリン
「Oкей,xорошо! Oкей,xорошо!」(よし、いいぞ!)

ルーズベルトのソ連による北海道占領を容認するコメントをしていたことを知って、喜ぶスターリン。



1945年2月19日 日本小笠原諸島 硫黄島






1945年4月7日 日本 沖縄本島





※閲覧注意


Youtube Pacific Episode 9 Okinawa
(※YouTubeのページにリンクします。)



「ベルリン陥落、ヒトラー最後の闘争」

1945年4月1日 モスクワ
スターリン
「米英の司令部はベルリン占領作戦を既に用意している。ベルリンを先に獲るのは我々なのか、連合軍なのか?」



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(※ソ連兵の傾向として敵国女性に対する暴行は当時有名だったようです。)



1945年4月23日 ドイツベルリン



ベルリン市街にソ連軍侵攻。



1945年4月22日 ドイツベルリン総統官邸地下壕




同日 夕食時

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ヒトラーと愛人エバ・ブラウン、夕食時の会話。

ヒトラー「最も楽で確実なのは口の中を銃で撃つことだ。」

エバ
「そんなの嫌よ。私はきれいな死体になりたい。青酸カリって苦しいのかな? 私は長く苦しむのは嫌。」

ヒトラー
「大丈夫。この毒薬は全く苦痛を伴わない。数秒の内に死に至るはずだ。何にも感じないよ。」



1945年4月29日夜中 総統官邸地下壕小会議室
ヒトラーと愛人エバ・ブラウンが結婚式を挙げる。

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ヒトラー
「戦いの間、私は結婚することを責任を持てないと考えていた。しかしこの地上の生涯を終える前に、彼女の希望に従い、エバを妻とする決心をした。すべてに包囲された街で、自分の意志で私の運命と分かち合おうしているのである。そして私の妻として、一緒に死のうとしている。」



1945年4月30日
無言で側近ら全員と握手をするヒトラー。
視線は遠くの方を見つめているようでおぼつかない。


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黒いドレスを着ているエバは涙を流している。
二人で部屋に入るヒトラーとエバ。
しばらくして、服毒自殺したヒトラーとエバの遺体が運び出された。




1945年5月1日 ドイツベルリン



ソ連軍によるベルリン占領。ドイツ降伏。
(※ドイツ首都ベルリンにソ連国歌が流れる象徴的な場面です。)



同日 モスクワ

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スターリン
「ろくでなしがくたばりやがった。」






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ヒトラー
「過去長年に渡って、(画家になりたかった)私が買い集めた絵画は決して個人目的のために収集したのではない。私の故郷の街であるドナウ河畔のリンツに画廊を建てるためだった。」






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今回は、第二次世界大戦の欧州東部戦線、大東亜戦争(太平洋戦争)中期、後期を取り上げてみました。

当初は日本とソ連が戦うまではドイツとソ連の戦いのみ取扱い、日本のみが絡んだ戦争は割愛しようと考えていたのですが、戦争の流れを把握するためにいくつかの戦いを適度に盛り込んでみました。本当は大東亜戦争についてもっと取り上げていかないといけない戦史もたくさんあるのですが、あまりに盛り込むと本来のテーマの趣旨から外れてしまうので、思い切ってバッサリと内容をカットしました。カットした部分は別のテーマでいずれ取り上げることができればと思っています。
また、ヒトラーの死亡説には諸説あり、中にはベルリンが包囲される前にひそかに脱出したとされる有力説(ベルリンに残ったのはヒトラーの影武者)もありますが、その後のヒトラーの足跡がオカルトな部分があり、これもいずれ別のテーマで扱えればと思います。今回は一般的に知られる歴史に拠りました。


ヒトラー作


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ユダヤ人迫害など悪名高いアドルフ・ヒトラーですが本来は美術の才能から画家を志望していて、政治活動や演説の才能などは片手間程度にしか考えていなかったことは一般的にはあまり知られていません。
また、動物好きでブロンディという飼い犬を日常的に世話したり、子供好きだったり、自然環境保護、動物愛護の法律を制定したりと意外な一面も持っていました。
そんな彼がなぜあそこまでして、ユダヤ人迫害を追認し、迫害の法律まで作ったのか。
彼は既に気付いていました。米国、欧州を裏から金融、権力的に支配しているマフィアがいて、それらがユダヤ人であることをです。
そして戦後、米英を中心とした連合国は、ユダヤ人を目の敵としたヒトラーとナチスをプロバガンダ工作によって邪悪の権化として世界に喧伝し、絶大なタブーとして歴史の闇に封印してしまいました。


ヒトラーが犯した最も大きな過ちと失敗は、米国を裏で支配するユダヤマフィアと、一般無実のユダヤ人を区別できなかったこと、そしてユダヤ人という人種単位の括りでしか物事を判断しなかったことです。
もし、これらができていたら世界から歴史的にもっと支持擁護された存在であり得たかもしれません。



ところで、安倍さんへ。
アドルフ・ヒトラー総統より、安倍さんと現代とこれからの日本に宛てたメッセージを70年の時を越えて預かっています。
当ブログで過去に記事にしたこともありますが、ヒトラーには霊感的に未来を見る特別な能力があり、もしかしたら現代の日本、未来の日本も垣間見えたのかもしれませんね。








遥かなる島 名もなき魂の涙 第一部 日露戦争
遥かなる島 名もなき魂の涙 第2部 ソビエトスターリンの野望
遥かなる島 名もなき魂の涙 第3部 バルバロッサ作戦と大祖国戦争


ヒトラー〜最期の12日間

遥かなる島 名もなき魂の涙 第3部 バルバロッサ作戦と大祖国戦争 [歴史、社会学]

「日独伊ソ四国同盟構想と日本との中立条約」


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1937年11月18日
スターリン
「ソ連は現時点では日本との戦争を始めることはできない。中国が日本の猛攻を首尾よく撃退すれば、ソ連は開戦しないだろう。日本が中国を打ち負かしそうになったら、その時ソ連は戦争に突入する。」



1939年11月30日 北欧 フィンランド







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1940年6月21日
ドイツ軍侵攻によるパリ陥落。


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スターリン
「Блин!(くそ!)
ヒトラーとドイツ軍部は馬鹿ではない。ソ連と西欧の2正面作戦に打って出ると思うか?ドイツとの開戦は英国を完全に屈服させた後の1942年半ばになるだろう。1942年になればヒトラーに対抗できる戦力が育つ。」

ウィンストン・チャーチル英首相
「ヒトラーのソ連侵攻の可能性がある。」

スターリン
「苦境に陥った英国がソ連とドイツを戦わせようとする挑発だ。」






1940年9月27日 ドイツベルリン
日本、ドイツ、イタリアによる三国同盟締結



1940年11月15日 モスクワクレムリン宮殿
モロトフソ連外相がシューレンブルク駐ソドイツ大使を呼んで、以下のコメントを伝える。

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モロトフ
ソ連は「日独伊ソ四国同盟」を締結する準備があります。ただし、

1,ドイツ軍のフィンランドからの撤退
2,ソ連ブルガリア協定の締結
3,ボスポラスとダーダネルス両海峡における海軍基地建設のための長期借地権
4,北サハリンにおける日本の石炭・石油採掘権の放棄

が条件です。同志スターリンも四国同盟の調印を了承しています。」



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1941年3月24日 モスクワ
松岡洋右外相
ソ連を三国同盟に引き込み、その圧力で米国をアジアから手を引かせて日中戦争に終止符を打ち、日本軍の東南アジアへの進出を有利させるのだ。)

モロトフソ連外相
「中ソ不可侵条約の精神から、日ソ不可侵条約を結ぶことはできません。代わりに日ソ中立条約でいかがでしょうか。」

松岡洋右
「日本は1932年にも条約締結に向けて努力したことがあり、関係正常化のためには不可侵条約が好ましいのです。日本政府は日独伊三国同盟で英国を打破し、同時に資本主義も打破したいと願っています。」

スターリン
「日ソ両国のイデオロギーの違いは関係正常化の障害とはなりません。」



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1941年3月27日 ドイツベルリン
アドルフ・ヒトラー総統
「松岡さん、先日あなたはモスクワにいたようですね。」

松岡洋右「スターリンとは25分、モロトフとは10分話しただけです。」

ヒトラー「バルカン半島はドイツにとって不可欠な地域だ。ソ連に絶対譲りはしない。」

リッベントロップ独外相
「我々は天皇陛下に、独ソ間の紛争がないとは確約できない。日本とソ連とは不可侵条約など結ばないほうが良いと思います。」



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1941年4月7日 モスクワ
松岡洋右
「やはり私の望みは無条件で日ソ不可侵条約を結ぶこと。結論が得られるまで帰国を1週間遅らせます。」
日本政府
「天皇陛下は日ソ中立条約を締結することを承認された。」



1941年4月12日 モスクワ市内劇場前
ソ連幹部が松岡に声をかける。

「スターリン閣下がお待ちです。」


その日の深夜 モスクワクレムリン宮殿

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松岡洋右
「何とか無条件で中立条約を結びたいのです。これは日本だけでなく、ソ連にとっても有利なはずです!」

スターリン
「あなたは私の首を絞めようとしていますな。わかりました。無条件で中立条約に調印しましょう。最初私は日本の真の目的に疑いを抱いていたが、外交ゲームではなく心から関係正常化に関心を持っていることがわかりました。その昔ナポレオンが重用した外務大臣タレーラン有名な言葉を言った。"外交官の舌は本音を隠すためにある"とね。しかしあなたのように頭の中にあることをはっきり口に出して言う外交官も珍しい。日ソ両国のイデオロギーの違いは関係正常化の障害とはなりません。イデオロギーを超えて心底から一緒に行動できるものと信じます。」



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1941年4月13日 モスクワ クレムリン宮殿
日ソ中立条約調印
スターリン「これで日本も安心して、南進できますね。」


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シベリア鉄道ヤロスラブリ駅
酔ったスターリンが松岡の見送りに現れる
前代未聞の独裁者の送迎に驚く報道陣。
松岡はじめ日本人訪問団全員と何度も抱き合い、握手を交わすスターリン。

スターリン
「我々は欧州とアジアで秩序を作っていきましょう。私たちはアジア人同士、一緒にいるべきです。」

ドイツ駐ソ大使館武官のクレプスに話しかけるスターリン。
「我々は友達でいましょう。」

クレプス「そう確信しています。」


1941年6月12日
スターリン
「お前、松岡を変な奴だと思わんか?あいつは相手に何かを請け負うとき、必ず腹をたたくのよ。」

スターリン私的戦略諜報・反諜報部
アレクサンドル・ラブロフ
「彼は全く正常です。ロシアでは人の魂は胸に宿ると言いますが、日本では腹に宿っているのですよ。」




「独ソ開戦、日米開戦」

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1941年6月1日 東京→モスクワ電報
リヒャルト・ゾルゲ赤軍諜報員(ソ連の対日本スパイ)
「独ソ戦は6月15日頃始まると予想されている。ドイツ軍はソビエトの防御網の弱点を知っている。最初の大規模な戦闘でドイツ軍はソビエト軍の防衛戦を粉砕するだろう。ヒトラーはソビエトを粉砕し、そのヨーロッパ側を手中に収める決意を固めている。」



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1941年6月9日 モスクワ
スターリン
「日本で売春宿を抱えているような輩が、ご丁寧にもドイツが攻めてくると教えてくれた。あんな奴を信用できると思うか?」


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1941年6月18日 モスクワ
ゲオルギー・ジューコフ参謀総長
「ソ連軍の完全戦闘態勢の準備をするべきです。」

スターリン
「お前は何だ。わしを脅しに来たのか?戦争が必要なのか?ひょっとしてお前、勲章が足らずにもっと高いのを狙っているのか?」






1941年6月20日 ドイツベルリン
訓示「東部戦線の将兵に告ぐ」

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ヒトラー
ソ連に対するこの史上最大の大軍が前進を開始するとき、この大戦争を終結させて関係諸国を守るだけでなく、全ヨーロッパの文明と文化を救うものである。
ドイツ兵士諸君!諸君は過酷で激烈な戦闘に突入する。なぜなら、ヨーロッパの運命とドイツ国家の将来とわが国民の生存が、ただ諸君の手中のみに委ねられているからである。」


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クリスタ・シュレーダー(秘書)
「総統はこれまで「ソ連軍は一撃で打破できる。戦争はすぐに終わる。」と仰っていたのに、今になって厳しいと言われたのはどうしてでしょうか?」

ヒトラー
「それはね、シュレーダーさん。我々はソ連について何も知らないからです。ソ連は中身のない大きなシャボン玉かもしれない。だが、違うかもしれない。」


1940年8月19日
ヒトラー
「かつて私の上官だったユダヤ人のエルンスト・ヘス氏を迫害しないように命令する。」

(※第1次世界大戦で、ヒトラーは従軍していましたが、そのとき所属した中隊を指揮していたのがこのユダヤ人のエルンスト・ヘス氏です。)



1941年6月22日
ドイツ軍300万、ソ連に侵攻開始





1941年9月 ソ連キエフ近郊
ドイツ軍のソ連への快進撃続く。


(※将校は女の子がユダヤ人であるという理由で射殺しますが、本当に彼女がユダヤ人であるかどうかは不明です。)








1941年12月8日 ハワイ オアフ島
真珠湾に停泊中の米海軍太平洋艦隊と基地に対して、日本海軍航空機、特殊潜航艇で攻撃。
日本、米国に宣戦布告





1941年12月11日 ドイツベルリン ドイツ帝国議事堂 総統演説
ヒトラー
「諸君!我々は戦争に負けるはずがない!我々には3,000年間、一度も戦争に負けたことがない味方(日本)ができたのだ!ドイツは日本と共に防衛の戦いに立つことを決議した!
われわれは常に先制攻撃をかける
ルーズヴェルトはウドロー・ウィルソン同様の狂人だ。やつはまず戦争を煽動し、次に戦争の原因を捏造し、そして汚らわしくもキリスト教の偽善の外套を身にまとって、自分の攻撃が正当なものだという証人として神の名を呼びながら、ゆっくりと、しかし確実に人類を戦争に導いてゆく。
諸君!諸君は皆ついに救いを見出したと思う。一つの国家(日本)が、その真実と正義の歴史の中で例のない恥知らずな扱いについに抗議する措置をとったのだ。日本が、日本国政府が、この男(ルーズヴェルト)と何年もの交渉の末、ついに三文の値うちもないやり方で嘲笑されることにあきた事実は、ドイツ人の全て、そして世界の全ての謙虚な人々を深く満足させるものである。
そこで私は本日、アメリカの代理大使ならびにその部下に対し旅券を渡すよう手配した。ドイツ国政府はアメリカとの全外交関係を断絶、ルーズヴェルト大統領が招いたこの状況下において、ドイツもまた本日よりアメリカと戦争状態にあると考える。」

ドイツ、米国に宣戦布告


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今回は、ヒトラー率いるナチスドイツがソ連に侵攻し、日本がドイツと共に米国に参戦するまでのお話を取り上げてみました。第3部では、ソ連のスターリンとドイツのヒトラー、同じ独裁者といえど、少し毛色が違うところに焦点を当てて見たかったのですが、うまく表現できたでしょうか。

ところで、日本のハワイ海戦(真珠湾攻撃)について取り扱っていますが、「この攻撃が日本によるだまし討ちだから、日本はこの戦争に負けても仕方がない。」と思っておられる方はいませんでしょうか。もしそう思っているのなら、あなたは戦後の米国による対日プロバガンダ教育工作の犠牲者です
以下の動画を見て、真実の歴史のお勉強が必要です




日本にとっての第二次世界大戦は、義理を重んじる日本がヒトラーの欧州での戦略に振り回されたことと、米国の人種偏見を口実に自らの中国大陸利権の貪欲な追求を妨害する日本を排除するための謀略が、後の惨劇と悲劇を生み出していきました。




遥かなる島 名もなき魂の涙 第一部 日露戦争
遥かなる島 名もなき魂の涙 第2部 ソビエトスターリンの野望


モスクワ防衛戦 「赤い首都」郊外におけるドイツ電撃戦の挫折
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