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月の古代高度異文明跡とアポロ極秘計画 ブログトップ

NASA、JAXAが隠した月の秘密 [月の古代高度異文明跡とアポロ極秘計画]

「ナチュラル・グループ」(株)フリーエネルギー・モーター研究 井出治氏
JAXA(日本宇宙開発機構)にて

「かぐや」が撮った月の地表をパノラマするビデオ映像を見せてもらったところ、所々1分、2分と映像が途切れるシーンがあった。

井出治氏「どうして全部見せないんだ」
JAXA職員「色々と都合の悪いものがあるんでしょうね

それ以上は答えてくれなかった。


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月周回探査機「かぐや」が撮影した月地表画像。右下に人工の溝状の地形が見える。




「UFOの実在を示す発言」
1996年3月21日 ワシントンでの記者会見場
ジョンソン宇宙センター勤務 ケネディ・ジョンストン
「宇宙飛行士たちは月面に存在する遺跡、つまり透明なピラミッドやクリスタル質のドームなどをその目で見ている。


2002年10月5日 ロシア共産党機関紙・プラウダ
「月面で都市が発見される!地球外文明が活動している様子が、この地球に最も近い隣の衛星・月で確認されたが、この情報はすぐに超機密情報とされた。人類の社会全体を混乱させるような信じられない事実であり、我々人類にそのことを受け入れる心の準備がまだ出来ていないからである。」


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アリゾナ・ワイルダー女史
彼らの交信用装置はオレンジ郡シールビーチに隣接するハンティントンビーチにある大きな建物の中です。そして巨大な鏡のようなものを彼らは使用しています。それは「一つ目」で、彼らはそれを月との交信に使います。サイクッロプス(単眼の巨人)です。
1996年に、これに関わっていたもう一人の人間と話をした事があります。
彼女の家族は月へ行った宇宙飛行士の中の一人を知っていて、宇宙飛行士が地球に帰還した後、その家族に ”月で建造物を見た” と言いました。彼はまた、地下に続く自然の産物ではない人口的な入り口も発見したそうです。彼はショックを受けました。帰還後はそのことを他言しないように、常に脅迫を受けていました



「アポロ宇宙船乗組員が遭遇、目撃したUFO」
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アポロ10号
キャッスル(城)と呼ばれる14マイル(22400m)にもおよぶ物体の写真を撮影。
これはいくつかの円筒部と大きな接合部から構成されているように見え、月面に明瞭な影を落としている。写真の一部には、城の内部の多孔構造が明瞭に見えるが、このことは物体の一部が透明なことを示唆している。



アポロ12号月面着陸時
半透明のピラミッド型UFOを目撃、それらに監視されていた。そのUFOは月面上の数メートルにホバリングしており、暗黒の空へ虹色の光を放っていた。1969年、嵐の海に着陸したアポロ宇宙飛行士も同じUFOを目撃し、それは後に“縞模様の眼鏡”と呼ばれるようになった。


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アポロ14号宇宙飛行士 エドガー・ミッチェル
「月では、絶えず頭の向きを変えなければならなかったので、まだ首が痛みます。月にいるのは、私たちだけではなかったからです。NASAの専門家たちは、古代都市によく似た一部破壊された建造物に、とくに興味を抱いている。それらの写真では、構造物は驚くほど規則的な正方形と長方形による幾何学模様を形成しており、上空5~8キロから見下ろしたときの、われわれ人間の都市に似ている。私たちは、NASAの金庫の奥深くに隠されている、月面都市の廃墟や透明なピラミッド、ドームなどの写真を見たとき、見捨てられた小島の砂の上で、裸足の足跡を見つけたロビンソン・クルーソーのように感じました」


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英国のストーンサークルを彷彿とさせる構造岩。

■1968年12月、アポロ8号。
乗組員「サンタクロースが付きまとっている(暗号)。」
乗組員「月の裏側だけでなく表側にも駆逐艦位大きな掘削機が幾つも地表を掘削している


・初の月軌道での往路でUFOを目撃
・2回UFOから強力な光線を浴び、操舵装置や通信機能全てが停止、UFO消失と共に機能復旧。
・再度大型のUFOが接近し、全機能が停止、飛行士に頭痛、手の震え等肉体的異常が発生、UFO消失と共に機能・症状回復。
・月の裏側に入った後、巨大なUFOに遭遇、強烈な光で目が眩む船内温度も異常に上昇。
・人工構造物も多数確認。



■1969年7月 アポロ11号
アームストロング船長
クレータの反対側に別の宇宙船がいる。俺達を見張っているぞ。

・葉巻型巨大UFO母船を撮影、母船から発進するUFOも撮影。
・船長は緊急事態のマニアルどおりに通常回線を切る。


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スクリーンに映し出される浮遊物体を見つめる管制官達。


■1970年4月、アポロ13号。 
月への中間地点
アポロ13号乗組員「今回のサンタはやたらとしつこいぞ。 サンタがソリから2機降りてきた。底部の3ヵ所が白色。」
ヒューストン管制センター「やつらは攻撃しないから安心しろ。」

・船体がスキャンされた。  
・月まで1/6の距離で、爆発事故発生。 
・地球に帰還するまでUFOに随行されていた。
・アポロ12号で月着陸船上部を月面に激突させるなどの行為に対する警告と思われる。




■1971年2月、アポロ14号。
・UFOが宇宙船を監視。



■1971年8月、アポロ15号。
乗組員「矢尻(暗号)が走っている。トラック(暗号)がある。一定の幅でハドレー山まで敷かれているみごとな構造物がある。」

・ドーム状構造物多数確認。
・直径10km以上のUFOも多数映像。
・月面の人面岩撮影。



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太陽ではありません。ごく近くに存在した発光体。

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■1972年4月、アポロ16号
乗組員「ストーン山の山頂にドーム群がある。ドーム群の向こう側に構築物が峡谷に向かって伸び、頂上まで伸びているものもある。フラッシュライトみたいな光景が見える。」

・月面に着陸する直前に“葉巻型の飛行物体”を撮影。UFOが宇宙船を監視。



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■1972年12月、アポロ17号。
乗組員「月の裏側のエイトケンの中に立体交差路を見た。ドームもあった。複数のトラックがクレータの端まで続いている。」
管制「ブラボーへ行け、ウイスキー、ロメオ(暗号)」

・着陸地点の近くの丘に皿状物体撮影。
・UFOが宇宙船を監視。




以前、アポロ計画 極秘ミッション アポロ19号、アポロ20号で、月の裏側に横たわる古代の宇宙船の
残骸を紹介しましたが、その続編です。


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古代宇宙船の位置を示す月面地図。


NASAもJAXAも何か隠しているようなので、バラしてあげました。
紹介している写真や画像は加工したものではありません。
ここに掲載している画像は一部がリークで流出したものであり、大部分はNASAの金庫に
眠っているようです。

実際には人類は月へ行っておらず、映画撮影のようにスタジオで撮影した特撮だったという話もありますがJAXAの月周回探査機「かぐや」が月地上のアポロ着陸船下部を撮影しているので、アポロ計画により人類が月へ行ったことは事実です。
しかし、スタジオ撮影したことも事実なようです。
なぜ本当に月に行っているのに、わざわざスタジオ撮影する必要があったのか。
「都合の悪い何か」がひたすら写っていたからからかもしれません。

NASAも隠しきれない異星文明の巨大証拠群

関連記事
アポロ計画 極秘ミッション アポロ19号、アポロ20号




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アポロ計画 極秘ミッション アポロ19号、アポロ20号 [月の古代高度異文明跡とアポロ極秘計画]

アポロ計画 (アポロけいかく、Apollo program) は、NASAによる人類初の月への有人宇宙飛行計画。1961年から1972年にかけて実施され、全6回の月面着陸に成功した。

アポロ計画以外に地球周回軌道から離脱して人間を宇宙空間に送った例は、今のところ存在しない。アポロ8号で人間は初めて地球以外の天体の周囲を周回し、17号は現在までのところ、人類が地球周回軌道を越えて他の天体の上に降り立った最後の事例となっている。

当初の予定ではアポロ計画は20号まで行われるはずだったが、NASAの大幅な予算削減およびサターンVシリーズの後続生産が打ち切られたことにより、18・19・20号の飛行はキャンセルされ、それらの予算はスペース・シャトルの開発およびスカイラブ計画に回されることとなった。


アポロ計画は17号で終了した。公式には。





某ブログより抜粋

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アポロとソユーズの連結ミッションは、公式にはないとされているはずの19号と20号へ向けた準備であり布石であったらしい。19号は帰還途中に事故に見舞われており、しかしこの1名は無傷で帰還している。

19号は、月面の裏側にある三角地帯、つまりアポロ15号で確認、撮影され、極秘とされていた


「葉巻型宇宙船と月面都市の存在するイザッククレーター近辺の探査」


である。


1969年7月19日、アメリカのアポロ11号が人類として初めて月面着陸に成功し、これ以降、1972年のアポロ17号に至るまで、月面に人間が降り立っての調査が行われた。
調査の結果、月面には説明のしようもない不思議な物体も数多く存在することが明らかになった。
アポロ計画は公式には17号で終わっている。当初の予定では20号までであったが、実際には17号以降にはまだ10回もの打ち上げが予定されていたという。しかしなぜか17号で突然打ち切りが決定された。
その後18号はアポロ計画の後のスカイラブ計画で使用され、旧ソ連との宇宙開発共同実験としてソユーズ宇宙船とのドッキングを成功させている。
また、アポロ計画終了後、アメリカは旧ソ連と共同で月探査の合同作戦を進めることとなり、その計画で19号と20号は使われる予定だったのだが、19号は事故により破損してしまった。

しかし20号は1976年8月16日、3名の宇宙飛行士を乗せて無事打ち上げに成功、月に行った。宛先は、Iszak D、elporte Craterの南西、月の縁だ。乗組員はウィリアム・ルートレッジCDR(ベル研究所)、レオナ・シュナイダーCSP(ベル研究所)、アレクセイ・レオノフ(ソビエトの宇宙飛行士、1年前のアポロ・ソユーズ計画。)

月の裏側に横たわる宇宙船らしき物体の調査が主な目的だった。このアポロ20号は、月面に人工物を発見し、それをコードネーム「ノアの方舟」と呼称している。月面とおぼしき地形に葉巻状の構造物が見てとれる。発見された宇宙船や廃墟、その他のオーパーツについてはNASAは一切のコメントを出していない。





ウィリアム・ルートレッジのインタビュー。
ウィリアムによれば、1976年8月に公式の宇宙飛行ミッションがあった。

イタリア人ジャーナリスト、フリーランス。ルカ・スキャンタンバーロ。
2007年5月25日。

ウィリアム・ルートレッジ(彼の履歴によれば、76歳の男、ルワンダ在住の旧ベル研究所とUSAFに勤務)は語る。

イズサック物体への最初のミッションはアポロ19です。危険な条件下で着陸できたのは、搭乗員が優秀だったからです。生化学者と物理学者、数学者でした。政治的な偶然からロシア人を乗せました。アレクセイ・ソロキンは良い選択でした。医者であり物理学者でしたから。 アポロ20としては、このような技術者を集合させるのは不可能でした。数学者と医学知識者は地球上にいました。顔をみせるビデオは、ほとんど準備完了ですが、しかしその瞬間は音がありません。本物の音を投稿したいですが、別々のテープにあります。多くの人々、アマチュア無線家がアポロ計画を盗聴していましたので、音はコード化されビデオから分離されました。フランスとイギリスがTVの供給を受けていたと思われる事(これも確かではないですが)を除いては秘密が守られました。


当初のアポロ19号乗組員はステファニー・エリス、アレクセイ・ソロキン、ジョン・シュワイガートであることは証言できます。ジョンは1982年にがんでなくなり、ステファニーとアレクセイは1975年と1976年に失踪しました。彼らがアポロ19号搭乗員から外された本当の理由は不明ですが、ステファニーはアポロ19号と月の宇宙船について周囲に喋り過ぎた、と誰かが言っていました。彼女は1975年の訓練飛行中に亡くなったと聞いています。


「あなたのアポロ19号ミッションでターゲットは何でしたか?」


「主なターゲットは三角形の物体のひとつでした。それはメインの母船の南に位置してました。母船自体と月の基地は、母船の南西に位置していました。我々の着陸地点は、アポロ20号と同じでした。ソ連はこのミッションの2ヶ月前にSL-12を発射しており、ルナー21号はクレーターの西側に着陸していました。アポロ20号はルナー21号から遠くない場所で2番目に大きな岩床の真上に着陸するために、Lunokhod2をラジオビーコンとして利用しました。ルートレッジとレオノフはLunokhod2を作り、多用しました。その高度な洗練された装置はこの種のミッションに必要なものであり、4つのパノラマ望遠測定だけでなく、X線望遠鏡とレーザー遠隔計器と放射能検出器を組み合わせていました。母船と基地から放出されている可能性のある放射能を検出するためです。」


月の裏側の古代「エイリアン宇宙船」と「都市」の話です。宇宙船の中に入りましたか? どれぐらい大きくて中に何を見つけましたか?


巨大宇宙船の中に入りました。そして3角形のところにも。探索のおもな部分は、母船、とても古く、少なくとも1500万年前に宇宙を航行していた。中では多くの生命存在の兆候がありました。モーターのあるセクションに古い植生の跡がありました。特別な三角形の岩は、特別な医学的特性のある黄色の液体の「涙」を除去するためにありました。もちろん、太陽系外の生物の兆候もありました。宇宙船のいたるところにあるガラスのチューブの網に生きている小さな体(10cm)たちの残骸を見つけた。しかし大きな発見は2つの体である。1つは傷が無かった。


月面の都市は訪れましたか? どこにありますか? 母船との関係はあると理解しましたか? 都市と船はまだそこにありますか?

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「都市」とは、地球で付けられた名前で、ステーション1とスケジュールされていたが、本当の宇宙ゴミ溜めと見えた。スクラップで一杯で、金の部品、1つだけ傷が無かった。(それをカテドラルと名付けた。)金属片の写真を撮った。すべての部分は太陽に晒されて疲弊したカリグラフィーだった。「都市」は宇宙船と同じ程度に古く、しかしとても小さな部分だった。ローバーのビデオでは、ズームのレンズが人工物をより大きくみせている。





どうも、NASAは、何かを隠しているようです。ジョン・F・ケネディの暗殺もこれに大きく関わっているという情報もあります。
当時はCGを編集するという技術もなく、アポロ乗組員が撮影した膨大な枚数の写真のほとんどを強引な手作業で修正して、世間に公開していたという事実もあります。
その辺に関しても、いずれ紹介できれば、と思っていますが。

まだまだ紹介しきれてないことがたくさんあるので、次回に回します。



NASAが世間にひた隠しにしたかったものとは?
また、何を隠したのか、何を隠したかったのか?




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政府は宇宙人の存在を隠ぺい?=元NASA飛行士が「証言」 [月の古代高度異文明跡とアポロ極秘計画]

政府は宇宙人の存在を隠ぺい?=元NASA飛行士が「証言」
7月25日15時48分配信 時事通信


 【ニューヨーク25日時事】米航空宇宙局(NASA)の元宇宙飛行士が英国の音楽専門ラジオ局の
インタビューで、政府は宇宙人の存在を隠ぺいしていると発言。米英メディアが相次いで報じる
騒ぎに発展した。
 この元宇宙飛行士は、1971年に打ち上げられたアポロ14号の元乗組員エドガー・ミッチェル氏
(77)。
 同氏は23日の放送で、政府は過去60年近くにわたり宇宙人の存在を隠してきたが
「われわれのうちの何人かは一部情報について説明を受ける幸運に浴した」と説明。
宇宙人は「奇妙で小さな人々」と呼ばれているなどと語った。





 米国政府が宇宙人の遺体を隠して保管している。解剖がされたこともある。
との噂は以前からありましたが、真偽はさておき、ロズウェル事件と言うのがあります。


【ロズウェル事件】
 1947年7月、ニューメキシコ州ロズウェルにUFOが墜落し、米軍が機体と宇宙人の死体を
回収したという事件で、米軍はUFOではなく観測用の気球であるとしている。
ただ、事実とする証拠もなく、目撃証言も怪しまれているが、UFOに関する事件では有名。
1996年に、宇宙人の死体解剖の様子のビデオが発表されたが、事実かどうかの証明は
されているわけではない。



また、日本の江戸時代にもこういう記録が残っています。

書物 「兎園小説」(1825)
題名 「虚舟(うつろふね)の蛮女」
作者 曲亭馬琴(戯作者)南総里見八犬伝などで有名

現代訳(読みやすいように現代的に訳しました。原文は見ています。)

 1803年3月24日午後、茨城県原舎ヶ浜(はらしゃがはま)という浜で、沖のほうに船のようなものが
遥かに見えたので、地元住民が小船で漕ぎ出して、その船のようなものを浜辺まで引き上げて
よく見ると、その形はお香の容器のように丸い円盤型で、直径は5.4m(三間)ほど、上部は硝子格子
状でその継ぎ目には樹脂で塗り固められていて、底は鉄板を段々と筋状に張りつめられていた。
岩礁に衝突しても砕かれないように(頑丈な造りに)してあるのだろう。上から、内部が透き通って見渡せたので、皆が詰め寄って、内部を見たところ、その姿異様な一人の婦人がいた。



この話はこれ以降も続きがありますが、省略します。
当時の欧米の技術で、こういう構造物を造れるとは思うのですが、しかし、そういうものが存在した
記録は欧米にも存在していないと思います。結局、この円盤状のものとその中に乗る婦人は皆で話し合った結果、海へと戻したそうです。
もし欧米人で漂流者なら、言葉は通じなくても助けを求めるはずですが
ただ、微笑むだけだったそうです。一体何だったのかは、今となってはわかりません。




もうひとつ、こういうお話もあります。

596年11月、蘇我馬子が法興寺(飛鳥寺)を建立、貴族僧侶を一同に集め盛大な竣工行事の最中

一筋の紫雲がたなびき、花びらのような形のものが
空から降りてきて、屋根の上を覆い、仏堂を覆った
その後、五色の光を放ち、飛び去った

これを見た人々は、これこそ有り難い「瑞祥」に違いないと合掌して見送った

(「扶桑略記」より)


複数の大勢が見ている前だったので、作り話ではないでしょうが
これも一体なんだったのでしょうか?



自分は、現在言われるような、不可思議な現象は現代のオカルト的な文化が広がってから
存在が認められるようになったのではなく、そのようなものが存在する前の遥か昔から
こういう現象を見ている人々がいたのは事実だったと思っています。

真偽はともかくとして、古代、奈良時代に、どこからかからの訪問者が現代を遥かに
しのぐ高度な技術と物理法則をもって飛来した、と考えるのもロマンありますね。




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