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遥かなる島 名もなき魂の涙 第4部 ドイツ第三帝国の落日 [歴史、社会学]

「モスクワ侵攻電撃戦」

1941年~ 北欧フィンランド





1941年11月16日 ソ連モスクワ西部ヴォロコラムスク近郊



(※動画はカザフスタンからモスクワ防衛のために出征、戦死したパンフィロフ将軍率いる28人の兵士の話を描いています。)



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1941年10月4日 東京→モスクワ電報
リヒャルト・ゾルゲ赤軍諜報員(ソ連の対日本スパイ)
「日本軍が北進(ソ連、モンゴル等進撃)を中止したことにより、前線部隊が日本への帰国を開始した。今年中の日本軍のソビエト参戦はない。」

(※この2週間後、ゾルゲは日本の特高警察に逮捕されることになります。)



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1941年12月26日
ソロモン・ロゾフスキー ソ連外務次官
「日独伊三国はいずれ殲滅されるでしょう。今後、すべてを決定するのはソ米英であり、日本が我々との戦争に入ればソ連と日本との戦後関係、特に国境問題を検討しなければなりません。日本の艦隊が今後もソ連を太平洋から分断し、クリル諸島の各海峡、宗谷、津軽、対馬の各海峡を封鎖することには耐えられません。」



1942年~ ドイツ軍占領地域



(※ドイツ軍の占領地域においてモスクワ放送の呼びかけに応じて、赤軍パルチザンと呼ばれる共産主義のゲリラ部隊が輸送機関を中心に破壊活動を行いました。普段は民間人やドイツ軍兵士になりすましているため、純粋な一般民間人との区別がつかず、無差別殺戮の応酬となりました。動画はドイツ軍の貨物車両に乗せられたユダヤ人を解放するために襲撃を仕掛けるポーランドのパルチザンを描いています。)




(※撃ち損じた兵士は、撃ち方が下手だったわけでも、臆病だったわけでもありません。)




(※赤軍パルチザンに対する見せしめの公開処刑です。)




(※大戦中、ドイツ軍によって組織的にユダヤ人、ソ連兵捕虜に対して、拷問、虐殺が繰り返されました。)



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1942年8月12日 モスクワ
スターリン
「日本を攻撃しろと?正気の沙汰じゃない!」


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ハリマン米大統領特使
「ルーズベルト大統領からの親書をお持ちしました。単刀直入に申し上げると、ソビエトが日本に宣戦布告すれば援助は続けるという事でした。」

スターリン、親書を受け取り緊急貸与内容が書かれている親書に目を通す。

スターリン「戦車や戦闘機は書いてないようだが……」

ハリマン「日本軍の上陸に備えて我軍の戦車と戦闘機は余裕が無く貸与出来ません。」

スターリン「アメリカは我々に、日本への陽動作戦を取らせるつもりか。」

ハリマン「閣下、陽動が成功すれば戦車や航空機は貸与できます。」

スターリン「戦闘が続く限り貸与も続くと受け取って良いのだな。」



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1942年8月 モスクワ

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スターリン
「ヒトラー軍がウラル山脈を越えるような事態になれば、我々は亡命政権のリストに入ってしまうかもしれない。ドイツが勝利すれば、日本もソ連に参戦してくる。それはファシスト諸国の強大化を意味する。」

モロトフ外相「それは敗北でしょう。」

スターリン
「死ぬことはいつでもできる。チャーチルも英国がドイツ軍に占領されれば、カナダに渡ってでも戦い続けると言っていた。ロンドンには十数か国の亡命政権ができている。自分はロンドンには革命前に行ったからもう十分だ。インドなら適当な場所かもしれない。」




「攻勢から守勢にまわるドイツと日本」

1942年6月 クリミア半島セヴァストポリ



(※動画は309人のドイツ兵を射殺した、ソ連軍特別女子志願兵の名スナイパー、リュドミラ・パヴリチェンコの実話に基づいています。)



1942年6月4日 中部太平洋 ミットウェー島沖



(※有名なミッドウェイ海戦です。この海戦で日本海軍は真珠湾攻撃にも参加した精鋭4空母とベテランパイロットの多くを失います。)



1942年6月28日~ ソ連スターリングラード(現ボルゴグラード)






(※冬期には-18~-50℃にもなる、スターリングラードでの独ソ両軍の攻防戦は半年以上に及び、一旦は都市を制圧したドイツ軍はソ連軍に包囲され、撤退することになります。これまで攻勢だったドイツ軍が守勢に回るなど大戦の転換点なる象徴的な戦いとなりました。)

1942年7月28日

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国防人民委員指令第227号
スターリン
戦闘の恐怖から少しでも後退する兵士は情け容赦なく射殺せよ。」

この指令によって、スターリングラードにおけるソ連逃亡兵13,500人を射殺又は戦車で引き潰す



1942年8月21日 太平洋ソロモン諸島ガダルカナル島



(※動画は一木支隊の生き残りの最期を描いています。)



1943年5月12日 東京


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東條英機首相
「(日独共同して)東西両戦線を統一して決定的勝利を得るためには、我が国より進んでソ連を討ち、その力を粉砕するより他に方法がない。日本の国力から考えて可能だろうか?」


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重光葵外相
「それは不可能です。ソ連とはこの際絶対に穏便に保つより他にありません。ソ連を挑発するのは飽くまで避けたほうがよいでしょう。」


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木戸幸一内大臣
「この際対ソ関係を急速に好転させておき、必要によってはソ連を仲介で英米と太平洋問題の解決を模索する必要があると考えています。この点大いに考慮していただきたいのです。」



1943年10月19日 モスクワ

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コーデル・ハル米国務長官
千島列島・南樺太をソ連領とする見返りに、日本との戦争に参戦してほしいのです。」


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ヴャチェスラフ・モロトフソ連外相
「即答はできません。」



1943年10月30日 モスクワ会談最終日 晩餐会席上
ハル米国務長官との会話

スターリン
ドイツを敗北させることができたらソ連は日本に対して参戦するつもりだ。ルーズヴェルト大統領には極秘にこれを知らせるように。」



1943年11月28日 イラン テヘラン
テヘラン会談(米英ソ首脳会談)

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スターリン
「残念ながらわが軍が西部に集中し、対日作戦のための軍事力を有していないため、我々はしばらく米英軍と協力することはできません。極東のわが軍事力は防衛のためだけなら充分であるが、攻撃作戦には少なくとも3倍に増強しなければならない。これはドイツを降伏させたとき実現できる。我々はなお、ドイツ戦線にかかり切りであり、現段階で対日参戦はできかねます。ドイツに勝利した後、参戦しましょう。」



1944年7月7日 太平洋マリアナ諸島サイパン島





1944年8月
ヴァシレフスキー参謀総長との会話
スターリン「軍国主義日本との戦争で極東の諸部隊の指揮を君にまかせる。」



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1944年11月7日 ソ連革命記念日党大会演説

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スターリン
「侵略国たる日本が、平和政策を固執する米英より良く戦争準備をしていた時、真珠湾の事件、フィリピンその他の太平洋諸島の喪失、香港・シンガポールの喪失のような不愉快な事実の発生したことは偶然とは考えられない。この先、我がソ連が日本から攻撃を受ける可能性は否定できない。しかし、我々はすでに迎え撃つ準備はできている。偉大なる祖国万歳。」




「ソ連対日スパイ ゾルゲの最期」

同日 東京 巣鴨拘置所
リヒャルト・ゾルゲ赤軍諜報員(ソ連の対日本スパイ)
治安維持法、国防保安法違反で死刑確定。

検察官
「東京地方裁判所は絞首刑による死刑を言い渡し、最高裁判所は控訴を取り下げました。これはご存知ですか?」

ゾルゲ
「はい、知っております。」

検察官
「執行は1944年11月7日、つまり今日行われることになっております。覚悟はよろしいですか?」

ゾルゲ
「覚悟は出来ております。」

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ゾルゲ
「私をはじめ私のグループは決して日本の敵として日本に渡来したのではありません。また私たちは一般のいわゆるスパイとは全くその趣を異にしています。英米諸国のいわゆるスパイは日本の政治上、経済上、軍事上の弱点を探り出し、これに向って攻撃を加えようとするものですが、私たちはこの様な意図から日本における情報を収集したのではありません。私たちはソ連と日本との間の戦争が回避される様に力を尽してもらいたいという指令を与えられたのです。私は日本において、共産主義革命を起こす計画も、共産主義思想を伝播する意図もまったく持ち合わせてはいませんでした。自分だけが諜報網の全責任を負えば十分です。」

検察官
「最後に何か希望はありますか?」

ゾルゲ
「希望…ですか。そうですね。もし許されるのならば、モスクワへ帰らせて頂きたいと思います。」



「これは私の最後の言葉です。ソビエト赤軍、国際共産主義万歳。」

リヒャルト・ゾルゲ、絞首刑




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Катя(エカテリーナ)へ
私の思いがどれほど強いものか、君には想像つかないのかもしれない。
でもきっとわかってくれるはずだ。
君と一緒に暮らしたい。
いつかそういう時代がやってくるだろう。



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「もし平和な社会に生まれ、政治的に平和な環境にいたら、私は間違いなく学者になっていたはずだ。少なくとも、諜報員としての仕事を選ばなかったことは確かだ。私は戦争を憎む。あらゆる戦争を憎む。」




「ヤルタ会談」

1945年2月8日 ソ連クリミア半島ヤルタ近郊ユスポフ宮殿

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スターリン
「わが太平洋艦隊の状況と(日本との戦争)準備はどうなっている?」


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ニコライ・クズネツォフ海軍司令
対日参戦には米海軍からの大量の援助が不可欠です。」


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ウインストン・チャーチル英首相
ソ連艦隊が太平洋に現れることを歓迎し、日露戦争の損失を埋め合わせすることを期待します。」



1945年2月11日 ソ連クリミア半島ヤルタ近郊リヴァディア宮殿

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ルーズベルト米大統領
「ソ連がドイツ降伏後数か月以内に参戦し、背後から日本を攻撃してほしい。」

スターリン
「我が国の犠牲者はすでに2,000万人を超えている。日本とは日ソ中立条約の有効期限内であり平和状態にある。なのに日本を攻めるとなれば、それなりの理由が必要だ。日本占領についても、ドイツ分割占領方式にならって、日本の東半分、少なくとも北海道の占領を認めてほしいのですが。
なぜソ連が日本を敵として参戦するのか。その理由をソ連国民に説明するのに困難を極めるだろうということです。なぜ大きな紛争を抱えてもいない日本を敵として、ソ連が戦争しなければならないか、国民は理解できないでしょう。日露戦争で失った領土・権益の回復ができるならば、国民は対日戦争を国家利益に関わることなのだと納得し、我々が参戦の理由を説明することもずっと簡単になります。」

ルーズベルト「わかった。」

ハリマン駐ソ米大使
「大統領。ソ連に大きく譲歩する合意はお考え直されたほうがよろしいかと。」

ルーズベルト
ソ連が対日戦の助っ人になってくれる大きな利益に比べれば、千島は小さな問題だ。」
(※この会談の2か月後、ルーズベルトは脳卒中で死去。以降は副大統領のトルーマンが大統領に昇格、就任します。)


モスクワ クレムリン宮殿執務室

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スターリン
「Oкей,xорошо! Oкей,xорошо!」(よし、いいぞ!)

ルーズベルトのソ連による北海道占領を容認するコメントをしていたことを知って、喜ぶスターリン。



1945年2月19日 日本小笠原諸島 硫黄島






1945年4月7日 日本 沖縄本島





※閲覧注意


Youtube Pacific Episode 9 Okinawa
(※YouTubeのページにリンクします。)



「ベルリン陥落、ヒトラー最後の闘争」

1945年4月1日 モスクワ
スターリン
「米英の司令部はベルリン占領作戦を既に用意している。ベルリンを先に獲るのは我々なのか、連合軍なのか?」



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(※ソ連兵の傾向として敵国女性に対する暴行は当時有名だったようです。)



1945年4月23日 ドイツベルリン



ベルリン市街にソ連軍侵攻。



1945年4月22日 ドイツベルリン総統官邸地下壕




同日 夕食時

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ヒトラーと愛人エバ・ブラウン、夕食時の会話。

ヒトラー「最も楽で確実なのは口の中を銃で撃つことだ。」

エバ
「そんなの嫌よ。私はきれいな死体になりたい。青酸カリって苦しいのかな? 私は長く苦しむのは嫌。」

ヒトラー
「大丈夫。この毒薬は全く苦痛を伴わない。数秒の内に死に至るはずだ。何にも感じないよ。」



1945年4月29日夜中 総統官邸地下壕小会議室
ヒトラーと愛人エバ・ブラウンが結婚式を挙げる。

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ヒトラー
「戦いの間、私は結婚することを責任を持てないと考えていた。しかしこの地上の生涯を終える前に、彼女の希望に従い、エバを妻とする決心をした。すべてに包囲された街で、自分の意志で私の運命と分かち合おうしているのである。そして私の妻として、一緒に死のうとしている。」



1945年4月30日
無言で側近ら全員と握手をするヒトラー。
視線は遠くの方を見つめているようでおぼつかない。


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黒いドレスを着ているエバは涙を流している。
二人で部屋に入るヒトラーとエバ。
しばらくして、服毒自殺したヒトラーとエバの遺体が運び出された。




1945年5月1日 ドイツベルリン



ソ連軍によるベルリン占領。ドイツ降伏。
(※ドイツ首都ベルリンにソ連国歌が流れる象徴的な場面です。)



同日 モスクワ

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スターリン
「ろくでなしがくたばりやがった。」






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ヒトラー
「過去長年に渡って、(画家になりたかった)私が買い集めた絵画は決して個人目的のために収集したのではない。私の故郷の街であるドナウ河畔のリンツに画廊を建てるためだった。」






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今回は、第二次世界大戦の欧州東部戦線、大東亜戦争(太平洋戦争)中期、後期を取り上げてみました。

当初は日本とソ連が戦うまではドイツとソ連の戦いのみ取扱い、日本のみが絡んだ戦争は割愛しようと考えていたのですが、戦争の流れを把握するためにいくつかの戦いを適度に盛り込んでみました。本当は大東亜戦争についてもっと取り上げていかないといけない戦史もたくさんあるのですが、あまりに盛り込むと本来のテーマの趣旨から外れてしまうので、思い切ってバッサリと内容をカットしました。カットした部分は別のテーマでいずれ取り上げることができればと思っています。
また、ヒトラーの死亡説には諸説あり、中にはベルリンが包囲される前にひそかに脱出したとされる有力説(ベルリンに残ったのはヒトラーの影武者)もありますが、その後のヒトラーの足跡がオカルトな部分があり、これもいずれ別のテーマで扱えればと思います。今回は一般的に知られる歴史に拠りました。


ヒトラー作


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ユダヤ人迫害など悪名高いアドルフ・ヒトラーですが本来は美術の才能から画家を志望していて、政治活動や演説の才能などは片手間程度にしか考えていなかったことは一般的にはあまり知られていません。
また、動物好きでブロンディという飼い犬を日常的に世話したり、子供好きだったり、自然環境保護、動物愛護の法律を制定したりと意外な一面も持っていました。
そんな彼がなぜあそこまでして、ユダヤ人迫害を追認し、迫害の法律まで作ったのか。
彼は既に気付いていました。米国、欧州を裏から金融、権力的に支配しているマフィアがいて、それらがユダヤ人であることをです。
そして戦後、米英を中心とした連合国は、ユダヤ人を目の敵としたヒトラーとナチスをプロバガンダ工作によって邪悪の権化として世界に喧伝し、絶大なタブーとして歴史の闇に封印してしまいました。


ヒトラーが犯した最も大きな過ちと失敗は、米国を裏で支配するユダヤマフィアと、一般無実のユダヤ人を区別できなかったこと、そしてユダヤ人という人種単位の括りでしか物事を判断しなかったことです。
もし、これらができていたら世界から歴史的にもっと支持擁護された存在であり得たかもしれません。



ところで、安倍さんへ。
アドルフ・ヒトラー総統より、安倍さんと現代とこれからの日本に宛てたメッセージを70年の時を越えて預かっています。
当ブログで過去に記事にしたこともありますが、ヒトラーには霊感的に未来を見る特別な能力があり、もしかしたら現代の日本、未来の日本も垣間見えたのかもしれませんね。








遥かなる島 名もなき魂の涙 第一部 日露戦争
遥かなる島 名もなき魂の涙 第2部 ソビエトスターリンの野望
遥かなる島 名もなき魂の涙 第3部 バルバロッサ作戦と大祖国戦争


ヒトラー〜最期の12日間
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