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邪馬台国 卑弥呼 日本の紀元の真実5 [邪馬台国、卑弥呼を過去透視]





卑弥呼の女王国連合誕生
倭国大乱
卑弥呼が女王になる直前、倭国は戦乱の時代だった。列島西部ではヤマト部族を中心に初期邪馬台国連合が出来上がっていた。初期邪馬台国連合は、畿内を中心とする初期畿内国連合と争っていたのだ。

勢力関係のマップは調査途中に突然渡された地図に書き込まれたものを基に作られた。

(出雲地方を指して)彼らがこの地域を支配しようと思った理由は米の生産に非常に適した土地だからだ。ここでは多くの米がとれた。ここもだ・・・。(南九州を指して)ここも・・・。こちらも米が生産できた。多くの米が生産できたのだ。


この付近(近畿)は敵側になるのだろうか?

そうだ。このグループ(北九州、中国地方)とこちらのグループ(近畿)の間で大きな戦争が起きた。卑弥呼の父は彼らのことを知っていた。父と兄弟は平和を望んでいたようだ。しかし、この伯父、父の兄弟(出雲を指して)はそれを望まなかった。彼は強大だった。


後に卑弥呼の大伯父と修正されるこの出雲の支配者は、最重要人物となる。


父の兄弟だ。卑弥呼の伯父になる彼は平和を望まなかった。卑弥呼の父は彼に聞いていた。 「もし卑弥呼を偉大なシャーマンにすれば、平和を守れるのかどうか?」 彼の答えはイエスだった。彼はこの地域(丹後地方)に影響力を伸ばそうと考えていた。こちら(四国)はどうでもよかったのだ。

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山口県萩市の祭祀場で修行を積んだ卑弥呼。やがて、偉大なるシャーマンとなっていった。そして、卑弥呼の能力を見極めた出雲の大伯父が動き始めた。初期畿内国連合に卑弥呼を共通の王とすることを迫ったのだ。こうして、邪馬台国の女王卑弥呼が誕生した。卑弥呼は畿内に移り統治を始めた。卑弥呼が移動したことでヤマトの名前も畿内に移った。西日本の大部分を含む女王国連合とその盟主、ヤマト国が畿内に誕生した。

だが物語は複雑だった。卑弥呼は女王となった後も冬は山口に帰っていたのだ。夏は畿内、冬は山口と二箇所の居城を行き来しながら、統治をおこなった。夏の居城は奈良県宇陀市榛原の鳥見山。冬の居城は山口県下関市豊田町豊田湖の湖畔である。二ヶ所の居城の間の移動は、主に陸路。卑弥呼の行列の見学は当時、最大のイベントであった。卑弥呼は女王になった後も出雲の大伯父を訪れたという。出雲は後々まで独自の権力を維持していたのだ。


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